人生は「暇つぶし」?

気になった言葉

今日は月1回開催している「コーチングハンドブック読書会」でした。
冒頭、参加者の方々には簡単な近況を順番にお話しいただいています。
Aさんが最近「暇つぶし」という言葉が気になっているというお話をされました。
定年後時間が有り余っている友人が「残りの人生は暇つぶしだ」と言ったそうです。
言われたAさんは咄嗟に、同意も反論もできず、ただ戸惑ったととか。
以来、その言葉がずっと頭に残っているそうです。
話を聴きながら、私も違和感を覚えました。
「暇つぶし」の言葉の意味は「ひまな時間を過ごす手段」または「時間をむだに過ごすこと」。
言われた方の真意はわかりませんが、なんとなく有り余る時間を持て余しているような印象を受けます。
そして多分その状態に満足されず、自嘲気味におっしゃったのだろうなと想像してしまいました。
想像が正しいとすれば、ちょっと寂しく感じます。
年齢とともに肉体的に衰えることは自然の理ですが、「老成」という言葉があるように、精神はどこまでも成長を続けられると信じたいと思っているからです。

視野を広げると可能性が見えてくる

読書会で読んだ文章の中に「鎧を着た窮屈な状態では、『能力がない』と錯覚してしまうのです」というのがありました。
鎧とは、無意識が作り出す観念(価値観など)です。
人は外側の脅威から身を守るために無数の観念を自動的に作っています。
鎧と聞いて思い出すのは、中世の騎士の鉄の鎧です。
実際にどこかのお城に展示されていたのを見た時は「あれを着て動くのはさぞ大変だっただろうし、視界も相当制限されていたんだろうな」と思いました。
現代に生きる私たちも実は目に見えない鎧を着ているようです。
自分の観念によって自ら不自由になっているのに、なかなかそれに気づくことはできません。
鎧は気づけば脱ぐことができると、本には書かれています。
少しでも鎧を脱げたら視野も広がるでしょう。
そもそも視野が狭い時は、見ている対象が「自分」だけに限定されがちです。
視野が広がると、他の人とともに生きている自分が見えてくるはず。
「暇つぶし」も誰かのために、という目的に変わると、全く違うものになるのではないでしょうか。

(2019年2月17日 岩田)

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