不安は人に何かしらの行動をとらせる

耳にした会話

朝、近所の商店街でこんな会話を耳にしました。
「どうしたん?」
「朝からマスク買いに並んどってんけど、空振りだってん」
(関西弁というか神戸弁?正しいかどうか不明…。間違いにお気づきの方は教えてください)
新型コロナウィルス(COVID-19)のパンデミックが宣言され、海外でもスーパーの棚からモノが消えている様子が報道されています。
きっと同じような会話が世界の多くの場所で交わされているでしょう。
確かに治療薬も開発されていない未知のウィルスと言われれば誰だって脅威を感じます。
フランスのニュースでも「冷静な対応を!」なんて呼びかけがされていましたが、自分だけは冷静でいようとしても他の人が我先にスーパーや薬局の棚を目指すなら、後れを取って損をしたくないと買い物に走りたくなる気持ちはよくわかります。
私は今のところ、そんなに慌ててはいませんが、それはひとまず安心だと感じているから。
水洗い可能なマスクと、かねてから多めにストックする習慣があったトイレットペーパーとティッシュペーパーがあるためです。
しかし、いずれストックが底をついた時ほしい物が手に入りにくい状況が続いていたら、やっぱり慌てるだろうと思います。
今は、いつでも買いたいものが買えると信じていた日常から、買えるとは限らないという日常へと現実が大きく変わっています。
こういう変化は不安をかき立てます。

無意味と思える行動にも見方を変えれば意味がある

V.E.フランクルの本の中にこんな一節があります。

私は以前新聞で、難破した夫婦を描いたひとこま漫画を見たことがあります。その夫婦は、大洋のまっただ中で、小さないかだに乗ったまま漂流しているところです。夫のほうは、不安いっぱいの表情で、むだなことは明らかなのに、自分の白いシャツを振って、見えもしない船に合図しています。けれども、妻のほうは、いかだの上にひざまずき一所懸命にたわしで丸太を磨いているのです。このひとこま漫画から読みとれるのは、こういうことではないでしょうか。この妻は、望みのないように思われる状況のなかでもなにかしら正しく堂々とふるまい、その瞬間でもやっぱりほかならない「やり手の主婦」のままだったのです。こういう妻のことを、冗談にして、とんちんかんで頭が弱いと笑いとばすのではなく、ひとつのことを行なったと考えたいものです。

『それでも人生にイエスと言う』

フランクルはナチスの強制収容所から解放された精神療法医であり、『夜と霧』の作者です。
この本は2011年の東日本大震災の後、改めて話題になり、多くの人に読まれました。
ひとこま漫画自体は、夫婦のどちらも意味のないことをしていることを揶揄するために描かれたようにもみえます。
が、フランクルは妻が「ひとつのことを行なった」と考えたいと言います。
それはフランクルが強制収容所という極限の体験の中で、人間の尊厳や生きることの意味を見つめてきた体験に基づいています。

エピソードの夫婦、みなさんにはどう映りますか?
夫も妻も、不安であることは共通しています。
選んだ行動が違います。
いえ、どちらも意識的に「選択した」とは見えません。
むしろ普段の生き方が思わず行動に出たというところでしょう。
夫は困難を解決しようと、無意識にシャツを振った。
その行動には前向きさがあるともいえますが、どちらかというと不安に駆り立てられてそうしたように見受けられます。
一方で妻は状況にかかわらず、自分自身であろうとした。
フランクルが評価したのはその姿勢だと思います。
久しぶりにこの本を開いてみて、不安の中でも自分らしく行動することの大切さを教えてもらったような気がします。

(2020年3月15日 岩田)

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