山あり谷ありの日常と人生

頑張った後はホッとしたい

昨日研修に行きました。
長く伺っているところで、特に緊張することはなく、「しっかりやろう」ぐらいの気持ちで臨み、無事終了して夕方帰宅しました。
で、今朝起きると、意外にも疲れている自分に気づきました。
確かに昨夜は帰宅後、オンラインのセッションもありましたが、それでもそこまで疲れるようなことではなかったはずです。
どこかで神経を張り詰めているところがあったのでしょうね。
疲れているときは当然ながら思考力が落ち、身体はゆっくりすることを欲します。
私たちの生活はそのように緊張状態が山だとすれば、対極の谷としてゆっくりする状態を繰り返します。
気分にも山と谷がありますね。
楽しくワクワクする高揚感は山ですし、下降気味の時は谷です。
神経を研ぎ澄まし、緊張する山の状態に対して、緊張を解き放った谷の状態は価値のあるものです。
身体を休めさせ、次の行動に対して英気を養う時間をもたらします。
気分に谷の状態があることは、山の状態を存分に味わうためのよい比較になります。
山と谷って、両方があるからいいのでしょうね。
大自然がバランスをとる働きは、何気ない日常の中にも見出すことができることがわかります。

人生の山と谷

「人生、山あり谷あり」という言葉があります。
ふと過去の自分をふり返ってみると、取り立てて高い山も険しい谷もなかったような気がしますが、それでも未熟だった過去はいろいろ思い出されます。
多分いろいろな人にイヤな思いをさせたのではないかなぁということばかりが思い出されて、冷や汗が出ます。
その時はやはり谷の状態だったのでしょう。
今の自分なら、違う接し方ができたのではないかとも思いますが、それは叶いません。
一方で、自分の成長を感じられたり、人からも認められた山の状態もありました。
山と谷は一対の関係です。
谷があったからこそ、行動を改めようと思い、次の山を目指す気持ちになります。
ただ、山の高さと谷の深さは、人それぞれ。
人の数だけ山と谷のバリエーションがありそうです。

認知と感情の影響は山と谷にも及ぶ

歴史を見渡すと、ダイナミックな山と谷を生きた人々が目白押しです。
というより目立つ人でないと歴史に残らないというのが事実なのでしょうが…。
この場合の山と谷は栄光と挫折という言葉の方がふさわしい。
他人の目から見たらドラマチックな人生はそれだけで興味をそそられるものですが、本人は感情に翻弄されたのだろうと想像がつきます。
山が高いと自ずと谷も深いのでしょうか?
運命に翻弄されるように山と谷を繰り返す場合は、そうなるように見受けられます。

が、私たちはそれだけの存在ではないはず。
一度落ちた谷から学び、ものごとの捉え方の認知を変え、感情をコントロールすることもできます。
それによって、深い谷がなくなる代わりに高い山もなくなる可能性もあります。
ジェットコースターのようにアップダウンを楽しむのか、平穏な人生を楽しむのかはその人次第。
私が学びを続けているのは、多分後者を望んでいるからです。
みなさんはどうでしょうか?

(2021年11月7日 岩田)

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