どうしたら肩の力を抜けるのかを考えた…
誕生日に言葉にしたこと
先週、誕生日を迎えました。
フェイスブックでは非公開にしていますが、身近な人で日にちを覚えていて下さる方から個別にお祝いのメールをいただきました。
(ありがたいことです^_^)
ある方には「肩の力を抜いていこうと思います」と返信しました。
「自分のためにはそれほど頑張らず、ゆるく流れにまかせよう」ぐらいの気持ちです。
が、2,3日過ごしてみて、「肩の力を抜くって難しい…」と感じました。
無意識に力が入っていることも多い。
肩の力を抜くといっても程度というものがありそう。
ほどよく力が抜けた状態ってどういう状態なのだろう。
などと考えだすと余計に複雑になってしまいます。
そもそも「肩の力を抜こう」と思いながら何かをするとしたら、ずっと力が入っているのではないでしょうか。
ある時間を過ごした後、はじめて肩に力が入っていなかった自分に気づくという方が自然です。
だから、誕生日の言葉は「肩に力が入らない状態で過ごす時間が増えたらいいな」という私の願望の表れです。
それは、私のデフォルト(初期設定)はもともと力が入っている状態だとを表しているようなものです。
極端なことを体験する効果
今週の月曜日は予定のない一日でした。
肩の力がどうのこうのと考えていたせいか、反動として全く何もしたくない気分になっていました。
仕方がないので簡単な家事以外は、思い切りダラダラと過ごしてみました。
これ自体も私にとっては勇気がいるのです。
無駄な時間を過ごしたくないという願望が強すぎるからです。
(現実には無駄な時間をたっぷり過ごし、後悔することも多々あるにもかかわらず、です)
あえて難しいことを何も考えず、ボーっとして時間を過ごしながら、本を読んでいるうちに眠くなり、昼寝。
さすがに2時間も昼寝したら夜は眠れないかもと思っていたら、いつもより早めに睡魔がやってきて、朝まで熟睡…。
自覚していた以上に疲れていたみたいです。
「ダラダラ過ごすことにも価値がある」「怠けてもいい」ということを少し実感できました。
自分を抑えこんでいた価値観をゆるめるには、たまには極端なことをしてみるのもアリかなという体験でした。
(2017年11月15日 岩田)