言葉のイメージは変化していく
「ひとり」のイメージが変わって起きたこと
すでに知っている言葉には何らかのイメージがそれに伴っています。
例えば「転職」という言葉はどうでしょう?
一昔前なら、否定的なイメージをもっている人が多かったかもしれません。
今は少し変わってきています。
終身雇用が当たり前ではなくなり、転職はキャリアップに必要なものとして肯定的にとらえられることも多くなりました。
社会の変化によって人々の意識が変わるとともに、言葉のイメージも変わるのです。
同じことは個人にも起こります。
今まで否定的にとらえていた言葉が肯定的に変化したという経験は誰にもあることでしょう。
私の場合、「ひとり」という言葉がその最たるものです。
かつて私がもっていたイメージは、人間関係が苦手、友達がいない、寂しいといったものを総合した大変ネガティブなものでした。
だからひとりをとても怖れていました。
いえ、本当はひとりが好きなのに、他者から寂しい人と思われることを怖れていたといったほうがいいでしょう。
が、(多分)たくさん学び、自分の内面にも向き合ってきた結果、いつの間にか「ひとり」のイメ―ジが変わっていました。
かつて苦手だった、ひとりで飲食店で食事をすることも平気になったし、ひとり旅だってできるようになりました。
実際、今この文章を書いているのは関門海峡を臨むホテルの一室。
日常と切り離された朝の時間を、ひとりでのんびり過ごしています。
一瞬も止まることのない波の上をゆっくりと行きかう船、それらをぼんやりと眺めることができる幸せに浸っています。
ひとりが好きな自分を大事にできると、逆に人との関係もまた豊かになることも実感してきました。
ひとりを恐れて無理に他者と合わせようとしていた時よりも、特に合わせなくてもいいと思うようになってからの方がうまくいくという事実に苦笑していまいます。
でも、最初からひとりが好きと公言できる自分だったらどうだったのでしょう?
確かに葛藤はなかったでしょうが、今のような感謝はできなかったはずです。
「ひとり」という言葉に翻弄された経験があったからだと考えると、あらゆることが無駄ではないのでしょうね。
旅だけでなく、日常の中でも「ひとり」を楽しみつつ、いろいろなことが起こる人生を味わっていこうと思っています。
(2024年3月24日 岩田)