「無意識的な生き方から、意識的な生き方に」
日頃、何と無意識に流されて、思い込みで生きていることか…
最近特に思い知らされます。
毎日飲む薬を食後に飲んだかどうか、シャンプー後のリンスをしたかどうか?
出かけた後に、玄関の鍵をかけ忘れていないか、暖房器の電源を切ったか?
等々、明確な返答が出来ずに愕然とします。
最近のエピソードとしては、
①たまに行く喫茶店で、当然自動ドアだと思い込んで、勢いよく突っ込んでドアのガラスでおでこをぶつけた。
情けない怒りの落としどころがなく、ただただ笑ってやり過ごした。
②電車に乗って携帯電話を取り出して、スケジュール帳に書き込みをして、携帯を窓横の手摺に置いたまでは覚えていた。
帰宅して、リュックから携帯を出そうとしたところ、無いことに気づき、大慌て!「あ~、とうとうやっちゃった!!」
ドキドキしながら、急いでJRの忘れ物相談室の連絡先をパソコンで調べ、寝ている夫を気遣いつつ、家の電話を掛けに立ち上がった時、何と、部屋の入口のロッカーの上で、携帯を発見!
電車の中で、リュックに入れたことも、家に帰って出したことも、全く覚えがない。
見つかった喜びよりも、無意識の自分の行動にぞーっと驚きの方が大きかった。
③王子公園での孫のボルダリングに付き合っての帰り道。
駅に向かう狭い横断歩道で、信号機があるのに全く気付かず、左側から猛スピードで走ってくる車に、危ないなぁと思いながら、手を挙げて制止して堂々と渡りかけた。
車のクラクション、孫が「ばーば、信号赤だよ!」という声に、ハッと気づいた。
事故にならずに良かったというより、思い切り恥ずかしかった。
一番恐れてたたことに、しっかり娘や下の孫にチクられていた。
数え上げれば、このようなことは枚挙にいとまがありません。
年齢的にそろそろボケも出て仕方がないとか、誰にでも思い込みや失敗はあるよと慰められても、それだけで収めていいのか…と、ざわつきがあります。
感覚を鋭敏に
全てのことに意識的に生きることは不可能だけれど、行動する時々に、ただ漫然と習慣的に流されてしまっていることを、少しでも減らしたいと思います。
特に、危険が伴うことや、大事なものの扱いなど…後から痛い目に合うようなことは避けたいものです。
人に話すと、「そんな意識的な生き方って、しんどくない?」と言われたこともあります。
それ以上に、しっかりと周りを意識していないことで、道端のきれいな花を見落としたり、街並みの季節ごとの変化とか、空の色、雲の形など、感動的なことに気づけないことが淋しく思えます。
カウンセリングには、相手のちょっとした表情、しぐさ、声のトーン、姿勢など、変化に対してボンヤリと鈍感では、理解が乏しくなってしまいます。
感覚を鋭敏に磨き、意識的に過ごすことで、奥深く見えてくることがあります。いま目の前にあること、眼の前にいる人を、これまで以上にしっかり意識して、関わっていきたいと思います。
(2019年3月10日 若杉)