潜在能力の世界にアクセスする

武術とフロー

今日は、昨日読んで面白かった本を紹介します。
武術研究者の甲野善紀(こうのよしのり)さんと、幸福学やシステムデザイン、脳科学などで多彩な活動をされている前野隆司(まえのたかし)さんの対談で構成された『古(いにしえ)の武術に学ぶ無意識のちから』です。
前野さんは、甲野さんの著書『表の体育 裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間に生まれた身体観・鍛錬法』を読まれて、感銘を受けた一節があったそうです。
それが、「運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」。
甲野さんは、これは21歳のときの気づきで、武術を志したきっかけだったと答えています。
運命が決まっているかどうか?気になるところですが、みなさんはどう考えるでしょうか?
甲野さんは、「決まっているが同時に自由」だといいます。
矛盾しているものが共存する状態とはどのようなものか?
意識である「表の自分」ではなく、無意識にある「我ならざる我」を出す方法を探究した「影観法」というのが紹介されていました。
自分に向かって打ち込まれてくる刀を、ギリギリのタイミングでかわすというものです。
表の意識では「避けずにつかむ」に集中しつつ、もう一つの意識(無意識)が身体を動かして「避ける」のだそうです。
「掴もう」という意識に自分を集中させている間に、ふっと無心状態になるとか。
これはミハイ・チクセントミハイが提唱した概念「フロー」で、その研究者である、前野さんが解説を加えています。
フローとは、意識的に何かをするのではなく、無意識的に物事が進む、強い没入状態で、結果的にものごとがすごくうまくいく境地。
おふたりの対話は、「人間」についてはわかっていないことが多いこと、無意識による学びとは何か、フロー状態によって人間が発揮できる能力とはどれほどのものか、など、興味深い話題で進んでいきます。
そして、最後の問いは、「人間にとって幸福とは何か?」です。
モノ、お金、地位で得られる幸福は長続きしないことがわかっていても、人はそればかりを求めてしまうことがある。
甲野さんは、人が人生で何をしたいのかといえば、「納得したい」のだと思うと語っています。
だからこそ、「人間の運命が決まっていようがなかろうが、ただやるだけ」ということになるのではないかと締めくくっていました。
「人生に納得できるよう、ただやるだけ」という言葉が、心に響きました。

(2025年6月8日 岩田)

関連記事

アーカイブ

ページ上部へ戻る