中庸の生き方

11月14日の思い出

キンモクセイの香りが去った後、秋晴れの朝、マンションの南側の道を大きなサイレンを鳴らして救急車が通って行きました。
その音に驚きながら、不意に過ぎし日の記憶が蘇ってきました。
そう、今日は、11月14日。
私が42歳の時、脳梗塞で仕事中に倒れて、初めて救急車で病院に運ばれた日です。
何と、翌年の同日ほぼ同じ時刻に、夫がバイクで事故に合って入院しました。
これは大変!翌年の同日、「二度あることは三度ある」と言われるように、今度は一人娘を守ろうと緊張して過ごし、何事もなく一日が過ぎて安堵したことを思い出します。
15年以上経って、今から12年前、娘が結婚式を挙げたのが何と11月14日。
結婚式の日取りも、式場も、プログラムも…、全て二人の企画に任せていたので、あの11月14日…とは、全く気が付いていませんでした。
もしも気付いていたら、日程の変更を願い出たかもしれません。
結果的には、娘夫婦のお陰で、ネガティブなイメージの日を、晴れの日に転換して昇華してくれました。
人生には、自分が意識しているか意識していないかは別にして、転換点となる大切な日があるようです。
勿論、脳梗塞という大病は日頃の私の不摂生も相まって、今思うと幾つかの前兆段階で回避・改善できるものであったかもしれません。
シグナルを無視して限界を超えると、ふいに人生に病気や災害として割り込んで来ます。
更には、地震や台風などの天災は、その国や地域、場全体で受け止めていく必要がありますが、いずれも、日ごろの大局的な見方や十分な備えで、結果は大きく変わってきます。
無意識に流されて生きる人生ではなくて、大局的・長期的視野に立ってほんのわずかでも人生や世界に関わることができれば、ただただ翻弄されるのではなくて、人生最後に振り返って、笑顔で人生にお礼が言えそうで嬉しいです。

両極はバランスが大事

私達は、白か黒かはっきりさせることを善し―とするような教育を受けてきました。
果たしてその考え方は本当に正しいのでしょうか?
世の中には、反対の意味を持つ漢字を組み合わせた二字熟語がたくさんあります。
例えば、陰陽、光陰、表裏、優劣、公私、功罪、動静、可否、吉凶、因果、巧拙、損得、是非、正誤…。
まだまだたくさん挙げられます。
これらは両極端のようでいて、内容を深く見ていくと、実はそれぞれの中に両方の意味が含まれていることが分かります。
表裏一体とか、陰の中に陽の部分が(逆も)含まれているとか、光の中に影の部分が(逆も)見られます。
一方に偏らないで、両方の意味が体験や知識、見聞、学びによって理解されていると、
その時々で選択して使っていけて、バランスの中で両方の利点を生かすことができます。
過去の「たら、れば」は無意味で、選択した結果には責任が伴います。
もしも結果で思うようにいかずに反省するとしたら、両方の吟味が足りなかったという点だと思われます。

「中庸」を学ぶ目的

孔子が『論語』の中で、最高の「徳」として説いた概念に、「中庸」と言う言葉があります。
極端に多すぎること、また少なすぎることは良くないとする、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
「自分の思うままに振舞っても、道徳を外れることがない。そういう自由な境地を獲得することが、『中庸』を学ぶ目的である。」と教えられています。
もう少し深めていくと、「中庸」を学ぶ意義は、「天命を知る」という考え方に至ります。
「天命とは、自分が生まれながらにして与えられている生きる意味を知ること。」
このように言葉で言うは易し…ですが、果たしてどれだけの人が天から授けられた本性や天分に気づくことができるのでしょうか。
『論語』の中で、「中庸の根幹は「誠」(まごころ)で、天命に従う人の道が説かれているようですが、今の私には、難しすぎてよく理解が出来ません。
が、今理解できることは、とにかく、一方に偏り過ぎないで、両極をよく吟味して選択して決めていくことが大事ということ。
今年もあと1カ月半。
そろそろ、新しい来年のスケジュール帳を購入して、一年の計を考えていきたいと思います。

(2021年11月14日 若杉)

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