若杉章子の一文字ブログ6「観」

今月の文字は『観』

「寒さの中にも、沈丁花が咲き、まだ花は白いままですが、もうすぐ甘い香りを漂よわせてくれることでしょう。

早春の3月は、『観』を選びました。
『観』とは、外から見た様子や感じ。外見。
また、仏語で、真理を観じること。物事を細心に分別して観察し、道理を悟ること。

観光、観客、観念、参観、外観、内観、直観、拝観、
主観、客観、悲観、楽観、諦観…。

みるという言葉も、見る、観る、診る、視る、看る…と、それぞれ違った意味合いがあります。

『観』『観る』という文字から浮かんだこと。
自分を知るための方法として開発された「内観法」という自己観察法があります。

人は、生まれた時は、純粋無垢の状態ですが、社会性を身につける過程で、幼いころから他人の評価を気にしたり、自分自身の欲望を満たすことに懸命になり、その為に、そこで得られた自己像を自分だと思ってしまいます。
が、他人の評価や欲望達成度で満たされた自分は、本当の自分だとは言えません。

本当の自分を知るためには、客観的に物事を観る『眼』が必要になります。
そこで、自分の内面を一人静かに見つめて、事実をありのままに観る『眼』を養成しようとする方法が内観法です。

私は時折、外側で起こった出来事を、冷静に眺め、そこから浮かぶ内面の揺らぎをじっくりと観ることがあります。
根底に潜んでいる感情というのか、押し込んで見えなくしていた何か――かすかに気配が感じとれるものが見え隠れします。

その何か…に気づくことの恐怖からか、深く潜れなくて、つい安心安全な浅瀬で戯れてしまうのです。

勇気を出して、しっかりと見つめてみれば、案外見え方は違うのかもしれません。
自分で被せている価値観やフレーム、イメージであったり…。

パンドラの箱は、開けてみると、恐れるに足りないガラクタが詰まっているのかもしれないし、意外と大切な宝箱かも知れません。
秘密や未知のものは、恐れだけでなく、ベールを被った奥深いものとして憧れを抱いているようにも思います。

簡単な迷路に飽き足らず、わざと複雑なパズルにして、解けないからこそ真剣に取り組み、悩み・苦しみ、価値を感じているのかも。

(2017年3月18日 若杉)

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