人生のピースを大切に生きる

出来事にムダなことは何一つ無い

いつの間にか「つつじ」が「さつき」に変わり、もうすぐ梅雨を象徴する「アジサイ」が咲き誇ることでしょう。
今日は、薄曇りの空ではありますが、木々の緑が鮮やかで、さわやかな初夏の陽射しと風を感じる心地良い一日になりました。
図書館のホームページで、予約本の検索作業を終えて、ブログに取り掛かっています。
4~5年にわたり、毎月1回続けている「対話会」があります。
当初は7名で始まりましたが、1人去り、2人、3人と脱けて、今では4人で進めています。
目的を持って出発したはずなのに、段々、ゴールはどこにあるのか?何を目指しているのか?…明確にならないもどかしさがあった中で、何故ここまで続いてきたのか…?!と、我ながら不思議な気もします。
ところが、先日の対話会で、突然天から降って来たかのように、「あ~、こんな流れが用意されていたのか」と腑におちたことがありました。それは私だけでなく、程度の差こそあれ、全員の総意だったのです。
「人生とは何か、どういうものか、人はどう生きるべきか」といった事柄に関する教えを、『人生訓』と言いますが、今回の 『人生訓』 は、「人生にムダなことは何一つない」「人生に大切なもの、自分の成長に必要なことが、ジグゾーパズルのピースのように起こってくる」というものでした。
対話会も回を重ねるうちに、根本的な在り方や生き方を問われて、最初にあった抵抗や反発よりも学びの方が大きくなって、今では楽しみにすらなって来ていました。

誰もが宇宙に愛されている

そんな中、今年の3月から、学んで10年目になるセミナーグループの、プロジェクトというと大げさですが、メンバー同士の学ぶ会の運営を考える会議に参加することとなり、メンバーの中には対話会メンバーの一人も居て、まとめの段階に入っています。
期せずして、対話会の当初の根本目的に通じる、利他の精神とか、グループ全体に貢献するとかの願いに繋げる道が準備されていて、携わらせていただけていたことに気づきました。
とても壮大な意図の中に訓練していただいていたことに気づいた瞬間でした。
「あ~、これまでの期間はムダではなかった。貢献させていただく道が準備されていた」という思いに、何だか少し大げさですが、こんなにも宇宙に愛されていたとすら感じました。
お笑いの世界に、「伏線回収のネタ」というものがあります。
前半では伏線とは気づかずに聞いていて、つながった時には、思わず「おお~!」と感嘆する、今流行りの流れです。
その時の感動は、お笑い好きの私には、何だか似ているなと思いました。
以前のプロジェクトリーダーの方々が真摯に討議を重ねてくださって、決定された結果だけを知らされて、私は恩恵を受けるだけでは分からなかった事柄が、今回体験を通して、注がれて来た情熱や知恵、努力など身を持って理解することができました。
だから、人生は、一方的な体験だけではなく、真逆の立場も体験させてもらえるようになっているのだと、改めて感じました。

「受け入れるとは」という問い

先日、受講している小セミナーの中で、「『受け入れるとは』、それぞれどういうイメージでとらえていますか?」という問いがなされました。
私は、取り立てて考えても見なかったので、答えるのに途惑いました。
が、なるほど、否定や反発をする事もなく「あーそうなんだ」と軽く受け流す程度から、「認める。賛同する。実践に結び付けるように受けとめる」というように、様々な段階があることに気づかされました。
今回の受け入れは、どっしりと腑に落ちたという、かなり強めのものでした。
人生で起こってくる出来事や体験は、たまたま偶然起きたことではなく、その人にとって大切な必然的なこと、人生の分岐点(生き方を変える)だということです。
連日、ニュースで話題になっている山口県阿武町での「誤送金問題」で、逮捕された24歳の男性。
まさか、自分の口座に突然、4630万円もの大金が振り込まれてくるとは考えもしなかったことでしょう。
役場も銀行も間違いを防げず、振り込んだ相手も口座も特定出来て、すぐに返却の為に銀行まで同行しながら、こんなにもこじれた事件に発展させてしまいました。
誤送金が起こったこと、この男性に振り込まれてしまったこと、これらも全て深い所で既にシナリオが書き込まれていたのではないでしょうか?
勿論、シナリオを書き直すチャンスは多々あったことと思います。
私も初めに誤送金と聞いた時は、当然すぐに返金されると思っていました。
ネットニュースなので、真偽のほどは分かりませんが、「お金は返さない。罪に問われてもいい」と話していたと書かれていました。
親身に相談して、良心を後押ししてくれる人が周りにいなかったのは本当に不幸なことだと思います。
このことが、この男性の人生の大きな転換点になることを、心から祈ります。
何だか釈然としないモヤモヤした気持ちが残りますが、「すべての根底には、愛の動機がある」という 『人生訓』を頼りに、少しでも人々が幸せに生きるために、米粒1つ分でも何かできることはないかと、自分の内面も見つめ直して行きたいという思いが湧いてきました。

(2022年5月22日 若杉)

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