価値観・プログラムを理解するとは?

反応は価値観・プログラムから生まれる

今日のコラボ・セミナーのテーマは「価値観・プログラムを理解する」でした。
価値観・プログラムというのは、「人に迷惑をかけてはいけない」「自分らしさを表現することが大事」など、その人が強く信じていることや大事にしていること、思い込みなどです。
私たちの中にはそれらが多数ありますが、普段それをほとんど意識することなく過ごしています。
自分の価値観・プログラムに気づかされるのは、たいていネガティブな感情を抱いた時です。
例えば、最近私はSNSをあまり見ていませんが、ニュースサイトのコメントはたまに読んだりします。
その際一方的な主張や攻撃的なコメントを見ると、つい腹立たしく感じてしまいます。
そこで「なぜそのような気持ちになったのだろう?」という問いをもつことは、自分の価値観・プログラムを探ることにつながります。
普段意識していない価値観・プログラムというのは、透明なフィルターです。
出来事そのものに色がついているわけではないのに、自分のフィルターが事実を歪め、特定の色をつけてしまうのです。
あるコメントに腹を立てるのは当然だと思っている時、全くフィルターの存在に気づけていません。
が、反応はそうしたフィルターによって起こっているということを知ったなら、そこに何があるのかを考える余地が生まれます。

「相手は自分」というのはどういうこと?

「なぜ?」という疑問詞は深いレベルへの問いかけになり、気づいていなかった価値観・プログラムにたどり着けることがあります。
コメントにネガティブな感情を抱いた私の価値観として、「人を批判してはいけない」とか「攻撃的なコメントは社会を混乱させる」などが出てきました。
「ああ、そうなんだなぁ、だから私は腹を立てたんだ」と、一旦納得したのですが、実はそれは気づきの第一歩に過ぎませんでした。
今日、三田村講師から「目の前の人は自分の内面の投影だったという理解と体感があった」という体験談を聞いて、完全に相手と自分を切り離していたことに改めて気づいたのです。
確かに私は「攻撃的なコメントをする人は悪い人で、私はそうではない」と、無意識にとらえていました。
が、同じ行為をするかどうかは別にして、私も自分の正しさを主張したくなったり、攻撃的な気分になることがあることは確かです。
相手の中に見ていた否定的なものが、実は私の中にも存在していたのです。
自分の中にあるにもかかわらず、ある部分を自分の一部として認めることができないと、外側の人や出来事を受け入れられないという現象によって教えられます。
その原理を私は知っていましたが、心情的には受け入れがたく、無意識に相手は自分と違うと認識してしまいました。
自己理解の道は果てしないですが、とりあえずはイヤな人やイヤな出来事に遭遇した時、「私の中にも同じものがあるんだろうか?」という問いだけもってみるというのもいいですね。
日々さまざまな刺激をいただけることに感謝しつつ、価値観・プログラムと向き合ってみたいと思います。

(2022年5月15日 岩田)

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