「境界線」を越える
生き方が変わるきっかけ
友人が引っ越しすることになりました。
ご主人の転勤に伴って、長年住み慣れた土地からの転居です。
これまでにも何度か転勤はあったようですが、今回は引っ越しの日程が決まっても、トラブルが重なり、転居先の住まいがなかなか決まらず、10日前頃になってやっと新居が決まったとのこと。
その間の焦り、葛藤たるや大変なもので、対人関係の仕事もこなしながらなので、心身ともにパニック状態に陥られていました。
私は、お話をお聞きしていて、「ああ、彼女は今、人生の境界線を越えようとしているな」と思い、そのように伝えました。
後日、「あの時私の話について、どう思われましたか?」とお聞きしたところ、「やらなければならないことが山積みで、しかも期限も迫るという混乱の渦中にあって、まるで点の中に閉じ込められていたような状態でした。
「境界線を越える時」と言われて、視野がスーッと開け、ここから新しい世界が広がっていくんだ…と、勇気が湧いて来た」と言われました。
直観的に口をついて出た「境界線を越える」という言葉。
彼女が誠実で、いつも周りを気遣いながら前向きに生きている人なので、私には、今までとは違う生き方が願われているなあ…と思えたのです。
「境界線を越える」とは?
ジョセフ・キャンベルが提唱した「ヒーローズ・ジャー二―」(「冒険の旅」――誰もが人生の冒険者)の中で、境界線を越える(「越境」)とは、今まで足を踏み入れたことのない世界へ足を踏み入れていくことです。
例えば、会社を辞めて起業するなど、大きな決断を迫られた時、一度境界線を越えてしまったら、簡単に引き返すことはできません。
一気に恐怖が全身に襲い掛かりますが、人生が冒険である限り、本来は危険なところに行かなければなりません。
この分岐点を越えさせるものは、「決断」しかない――と、書かれています。
境界線とは、土地の境目の線、また物事の境目。
敷地に接している隣接地または道路などと敷地との境。
目には見えないけれど、自分で引いてしまう隔たり。
むやみに超えてはいけない領域。
精神疾患や健常と障害(症状)のはざまの意味もありますが、ここでは、人生の流れ・ストーリーの中で起こる「越境」の意味で考えてみたいと思います。
カウンセリング的には、境界線は個人の定義に役立ち、それは好き嫌いを大まかに判別し、他人が接近できる距離を設定するものです。
境界線には、身体的・精神的・心理的といった種類が存在し、それらは信念・感情・自尊心などによって編成されます。
誰しも、未知の世界に踏み込みたい、境界線を越えたいけれど、一方では越えたくない。
葛藤、対立、混乱が起こる中で、環境や役割から、変化を余儀なくさせられることがあります。
例えば、就職、転勤、転職、昇進、退職、転校、転居、など、初めての場所、初めての経験、初対面の人と会う。
このような時、緊張、気後れ、圧倒、混乱、動転が起こり、冷静に落ち着いた態度や思考ができません。
集中力、洞察力に欠け、全体が見渡せなくなります。
あれもできていない、これも片付いていない…気が奪われてしまいます。
これではいけない、こんなはずではない…と、焦りが拍車を掛けます。
ネガティブな感情に襲われ、人に共感ができずに上滑りの状態に陥ります。
「どうして一気にいろんなことが起こって来るのか?」
「やっぱり私はダメだ!何をやってもうまくいかない」
「やらなければならないことが多すぎる」など。
追い詰められてパニックになります。
そんな時こそ、これまでの殻を破る時。
今までの知識・経験・記憶では越えることが出来ません。
まさしく境界線に立っています。
この境界線を越えると、今までの自分の生き方以上に、責任と意思が問われます。
重圧に戸惑う中で、過去に押しとどめようとする力が働きます。
この抵抗する力は、実はとても大切です。
季節も時代も境界線を越えていく
四月も末となり、季節は春真っ盛り。冬から春に移行する時、向かう先は「春」。
一直線に向かう先は「春」ですが、何度か行ったり来たりして、4月に雪が降ったり、ここ数日も気温が低く、異常気象と言われるように寒さがぶり返したりしています。
私は、冬の名残りに郷愁を覚えることも、何かの陰に潜む「冬」のかけらも、すべて取り残すことなくひとつ残らず携えて、「春」に連れて行こうとする、大自然の「愛」の偉大さを感じざるを得ません。
今まで生きてきた証をすべて携えて、全身全霊を込めて、押しとどめようとする抵抗の力に立ち向かって、境界線を越えて、人生を突き進んで行く。
いくつになっても、それぞれ、自分に与えられた人生行路の境界線を越えていきたいと、「平成」から「令和」の時代へ移行する歴史の転換のこの時に、決意をさせられました。
(2019年4月28日 若杉)