誰もが生かされる社会を

「母の日」の由来

好天気に恵まれた今年のゴールデンウィーク」が過ぎ行きましたが、皆様は如何お過ごしだったでしょうか?
私は10年近くセミナー受講三昧の期間でしたが、今年は貸し農園に行ったり、人気のお店にランチに行ったり…と、本当に久しぶりに家族と過ごす機会をたくさんいただきました。
さて、今日5月8日は、「母の日」。
ここで、お得意の「今日は何の日?」の検索です。
日本ですっかり定着した「母の日」ですが、その由来について紐解いてみました。
戦争で傷ついた兵士やその家族を癒すための働きに取り組んで、1905年の5月第2日曜日に72歳で亡くなった母アンの働きに敬意を表して、娘のアンナ・ジャーヴィスは、それぞれの家庭の母に純粋に感謝する記念日として、「母の日」の創設に力を注ぎました。
彼女は生涯独身で子供もいませんでしたが、「女性の名誉を称える国民的な祝日」にするために奮闘し、ついに1914年アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウイルソンの宣言により彼女の努力が実を結び、ようやく「母の日」が創設されるようになったようです。
我が家にも、有難いことに娘と孫たちからお花とケーキが届けられました。

5月8日は、もう一つの記念の日。

10年前に財団法人を清算して、翌年のこの日に新しく「株式会社」を創設して9周年を迎えました。明日から10年目に突入します。
紆余曲折がありましたが、何とかここまでやって来ることができ、とても灌漑深い思いがします。
時には自信が無くなったり、落ち込んだりすることがありますが、周りの励ましや支援に助けられてその都度勇気ややる気を注がれています。
先日の「リーダーシップ」をテーマにした研修セミナーでのことです。
現在7名のメンバーで、「チーム・ビルディング」の討議を重ねていますが、「異なるそれぞれのパーソナリティを、どう効果的に組み合わせれば全体に活かすことができるか?」という問いが全体に発せられました。
私が所属したグループのメンバーから私の役目として、「場全体を客観的に見て、対立する両方の意見をまとめる調整役」「安全・安心をかもし出す役目」…などのお言葉をいただきました。
年齢や見た目から来る印象もあることでしょうが、「母性的」「保護者」としてのイメージや役割が求められていることに、この位置なら私でも頑張れるかなぁと思えます。
「母の日」を迎えた今日、家族だけでなく、関わる人達の「母」として、落ち着きや包容力・共感力をリソースとして磨きながら、これからも関わっていきたいと勇気が湧きました。

「多様性」の時代に生きる

実家の法事に行く途中に立ち寄ったコンビニで、留学生らしきアルバイトの店員さんに出逢い、私の最近のテーマの一つである「多様性」についていろいろな思いが膨らんできました。
アイデアの「多様性」、価値観の「多様性」、働き方の「多様性」…など、さまざまのシーンで語られる、いろいろな種類や傾向があるという意味を持つ「多様性」という言葉。
ビジネス的に焦点となるのは、性別・年齢・国籍などの属性的条件ですが、もう一つ「多様性」には、価値観やライフスタイルなどの思考的条件があると言われています。
属性的条件は、文化や習慣の違いをまずは受け止めることが最初のステップとなるので、丁寧なコミュニケーションやお互いの理解が必要ですが、私がテーマの一つだと考えているのは、パーソナリティや価値観、趣味・嗜好など、個人の内面に関わる「多様性」。
いろいろな場面で関わる中で、常識や言動、表現などの違いが対立や葛藤を生み出して、途惑いが生じることがあります。
個性的であることを奨励されるようになり、金子みすゞさんの詩にもあるように、「みんな違って、みんないい」と、頭では理解できるし、またそうあるべきだとは思うのですが、現実の場面では、なかなか誰もがすぐに理解・納得の域には到達しにくいものです。
特にスポーツなどで応援するチームが違うと、勝ち負けにこだわったり、好き嫌いの感情が波打ってしまいがちです。
随分少なくはなってきましたが、冷静に考えれば、どうでもいいこと、どちらでもいいことに、ついこだわってしまって譲れない自分自身に、後で恥ずかしくなることがあります。
育ってきた生い立ちや環境、教えられた常識が違っているので、「多様性」が尊重されるのは当然のことで、これには全く異論はありません。
もうそろそろ自分の優位性や正当性を少し緩めて、好き嫌いや損得感情を超えていきたいなと思っています。
それには、私の人間度をゆっくりではあっても、磨き続けて行くしかありません。
「適材適所」に、それぞれの人が生かされる社会をみんなで創っていきたいものです。

(2022年5月8日 若杉)

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