隠された内面は、確実に表れる
二週間続いた歩行禅
先回のブログでご紹介して、翌日から始めた歩行禅。
30~50分掛けて、毎朝ルーティン化して実践しています。
今まで沢山の方から、早朝の散歩を勧められていましたがどうも続かず、外出する時以外は自宅のベランダで往復の歩行(往復約25歩)を繰り返して、スキップやジャンプを交えて運動をしていました。
これはこれで、継続するにはなかなか忍耐のいる運動です。
今回、「禅」「行」と名目を付けるだけで俄然やる気が沸き起こり、姿勢を正して自分なりには早歩きで実践出来ていることは、新しい自己発見でした。
セミナーの受講仲間にシェアしたところ、即座に「知ってる!」と笑いながらコメントされ、今まで自分で自覚していなかったので話した覚えがなく、雑然とただいいと思うことをやり続けることが苦手だと、日頃の言動で周りに理解されていたことに、さらに驚かされました。
今日は小雨の中、傘をさしての歩行禅も、また趣がひとしおでした。
風雨が強い日や、冬場の厳寒の日々を思うと、今から気持ちが萎えてしまいますが、原則に捉われず、その時々で工夫をしたいと思っています。
七五三のお祝
ここでちょっと、箸休め。昨日は、孫たちの神社での報告・感謝、祈願を祝う奉告祭がありました。
本来は、三歳での言葉、五歳での知恵、七歳での歯を神様から授かることを感謝し、厄払いの意も兼ねてご祈祷をしていただく、日本の年中行事の一つです。
が、我が孫の次女は八歳でのお詣りだったので、下の三歳と合わせての「八・三詣り」。
関東の友人から、「関西では、そんなお祝いもあるのですね。まぁ、お祝いはたくさんあっていいですね。」とコメントされて、私は大慌てで、「これは、七歳でお参りに行かなかったので、我が家特製の八・三詣りです(笑)」と!
とにかく、健やかにここまで育てていただいた感謝を込めての、一区切りです。
晴れやかな着物姿の孫達、細く長く・長寿の願いが込められた「千歳飴」を舐めながらの得意顔は、ひいき目で可愛かったです。
タロット占いに刺激を!
先日、タロット占いを習得された友人から、修練を兼ねて占っていただきました。
「何をお聞きになりたいですか?」と聞かれて、申し訳なかったのですが前日の寝不足で疲れていた私は、特に考えが浮かばずに、「今の私…」とお答えして、カードを1枚引きました。
現れたカードは、「一人の立ち姿の女性の足元に、右下には割れた食器が2個、左下にはきれいな食器が2個置かれていて、その女性の顔は右下に向けられた」ものでした。
すぐ傍には、完成品があるにも関わらず、私の意識は壊れたものに囚われている。
うーん、何だか意味深な状況です。
もう一度、次は、「これからの生き方(仕事も含めて)」と、テーマを定めてお願いしました。
今度は10枚のカードを順次引いて、手渡しました。
そのカードを、過去・現在・近未来…と順番に振り分けての、読み。
過去・現在…と9枚目までのカードは色彩豊かで明るい絵のもの。
ラストの1枚が、象徴的で衝撃的なカードでした。
「教会を想像させるステンドグラスの前の道を、うつむき加減で足早に通りすぎる女性(私の象徴)。すぐ後ろに杖をついたホームレスの男性の姿が」。
過去や潜在的にも明るい喜ばしいものを携えながら、それらを見向きもせずに、自分の思いにひたすら囚われて歩んでいる姿に、正直ゾッとしました。
正しく現在の自分自身の心だと射貫かれたのです。
自分で自分の限界を定めて、意欲や行動の衰退に飲み込まれてしまっていたのです。
身体的・行動的にも、知的理解力も、創造力も、思うように発揮できずに、加齢のせいにして、今備えられていること・今活かせること・今出来ること…に一切目を向けずに、逃げていた自分の姿。
「子ども笑うな、来た道。年寄り笑うな、行く道。」と、亡き母が残してくれた色紙を懐かしく思い出しました。
誰もが通る、ジレンマ。せめて、意識だけでも前向きに行こう…と、思えた瞬間でした。
その翌日、私よりは若い人ですが、同じような課題を持つクライアントさんとのカウンセリングがありました。
前日に私の意識が超えることが出来ていたので、体験談としてお話しできて、力強いセッションになりました。
誰かのためにも、自分の課題が与えられることを、また改めて体験させていただきました。
タロット占いは、未来や目に見えないものを読み解く西洋占術の一つで、質問の内容に応じて、その影響が大きかった時期(過去)、未来は、現状で引き寄せやすい時期が占われると言います。
今回の私のように、カードに踏まえて、自分の考え方や行動を決めると、当然占いの結果出た未来も変わってくるとか。
まだまだ、誰かの何かのお役に立てるように、努力を続けていきたいと心から思いました。
(2021年10月17日 若杉)