楽しむということ

大谷選手が多くの人を惹きつけている理由

私は野球を観るということはありませんが、さすがにメジャーリーグの大谷選手のニュースは目にします。
今季の記録はどれも素晴らしい上に、その人柄でも多くの人を魅了していることが私にも伝わってきます。
今朝たまたま観たテレビ番組でも、アメリカのファンが彼の素晴らしさを満面の笑みで語っていました。
その中に「彼は本当に野球を楽しんでいる」という言葉があり、印象的でした。
確かに誰かが心からそれを楽しんでいる姿というのは、胸を打つものがあります。
私はドキュメンタリーが好きで、よく観るということをここでも時々書いていますが、なぜ好きなのかというと、誰かが何かに打ち込んでいる姿が見られることが多いからです。
そして、打ち込んでいる時の誰かの姿からは共通して大なり小なり「美しさ」のようなものを感じます。
おそらくですが、そういう時のご本人はさまざまな義務やしがらみを忘れて、その瞬間に集中し、かつ楽しんでいるのではないでしょうか。
大谷選手からは純粋に野球を楽しみながら、野球を通して自分を高めようとしていることが感じられます。
多くの人はそうした生き方にあこがれているのかもしれません。
だから、そのあこがれを具現化し、結果も出している人に心惹かれるのではないかと思います。

集中し、かつ楽しんでいる状態とは?

集中自体は日常的に誰もが体験しています。
何かに没頭していたらあっという間に時間が経過していたというような時です。
ただ、私の体験では集中した後の気持ちがポジティブになる時と、ネガティブになるときがあります。
みなさんもそうでしょうか?
ポジティブな時というのは集中したことでスッキリし、次の活動へのエネルギーが蓄えられているという状態です。ネガティブな時はその反対。
たいがい集中した対象が自分にとって価値が低いものです。
私の場合だと、ネット小説を読むことに長い時間を費やしてしまった後はネガティブな気分になる方が多いです。
ネット小説が悪いというわけではなく、時には良いエネルギーを感じていることもあるのですが、なんとなく読み始めて止められなかった時には、「なんでこんなに時間を使ってしまったんだろう」と、ちょっと自分を責めるような状態になります。
逆にポジティブなエネルギーを感じられる時は、集中している時間に価値を感じ、純粋に楽しめた時です。

喜び、楽しさを求めるのは私たちの基本仕様

喜ばしいこと、楽しいことを望むというのは私たちの根底に共通するものです。
辛いことや苦しいことと比べたら、本能的に喜びや楽しさを選びたくなります。
ただ、人間はなかなか複雑です。
明らかにラクな道が目の前にあっても、あえて苦しい方の道を選ぶことができる存在です。
私が尊敬している人も「あえて苦しい方の道を選ぶようにしてきた」と言っていました。
それはおそらく目の前の楽しさよりも高い価値の喜びや楽しさが、苦しい道の先にあることを知っているからなのでしょう。
楽しさにも段階というのがあるかもしれません。
手軽に手に入れられる楽しさが悪いということではなく、それは息抜きをする時には大事なものです。
同時に長い時間をかけて手に入れた境地でしか味わえない楽しさは重厚な価値を持つものなのだと思います。
それが自分の人生の本質にかかわることであるほど、心の底から楽しさを感じられるのではないでしょうか。
みなさんは今、どんな楽しさを味わっていますか?

(2021年10月10日 岩田)

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