私の懺悔録

ブログ投稿文章の悩み

先回のブログを投稿してから、早や2週間が経ちました。
無事投稿を終えた日は、ホッと解放感を覚えますが、翌日から課題やテーマを模索する日々が始まります。
途中、いくつかテーマが浮んだりするのですが、イヤ、まだもっと旬で重要な事柄に出遭うのでは…という思いが湧いてきて躊躇して、気が付けば3日くらい前になり、焦りの中でまたまた投稿日を迎えてしまいます。

では、そもそも多くの方は「ブログ」を何のために書かれているのでしょう?
趣味や得意なことを多くの人に読んでもらって、承認欲求を満たしたい人もいるでしょう。
仕事に繋げたい人も、「ブログ」でお金儲けをしたい人もいるでしょう。
ただ文章を書くこと、表現することが大好きで、社会との接点をもちたいと純粋に考えている方もいると思います。
本来「ブログ」とは、日記などを時系列に公開できるウエブサイトの一種なので、何を書いてもいいのですが、このブログは、『神戸市民大学講座スタッフ・ブログ』と銘打たれているので、私個人の日記に終わってはいけないという思いが強くあります。
やはり、「神戸市民大学講座」の趣旨や信念に基づいた主張であったり、関わりを持ってくださっている方々に、何かしらのお役に立つ情報や気づきをお伝えする内容でありたいと思うと、かなりのプレッシャーが圧し掛かり、簡単に投稿できなくなってしまいます。
勿論、誰かに枠組みを決められて、押し付けられているわけではありません。
そこに、私の強烈な価値観(思い込み、とらわれ)が貼りついているのを感じます。
「人は、誰しも日々成長するために生きている」
「何かに、誰かに貢献できない自分、お役に立てない自分は、何の価値もない」という、罪悪感にも似た思いが湧いてきます。
その為、喜んでいただける情報を常に提供することのできる、優秀(?)な自分でありたい。
失敗したくない。恥ずかしい思いをしたくない――という恐れにも繋がってきます。
ブログの文章に悩みながら、深いところで上記のような価値観・恐れに気づいて、成長のための大切な苦悩を感じていたようです。

今日の「勉強会」での出来事

やっとしっかり意識に上ったところで、いみじくも今日の「勉強会」で、ある場に直面しました。
参加者のお一人が、「今を一生懸命に楽しく生きようと努めている」――と言われた言葉に刺激されて、自分の被せているフィルターが即座に反応して、激しい葛藤を覚えたのです。
葛藤したことを、この場で話すことで傷つけはしまいかと、発言するのにしばらく逡巡した後、できるだけ言葉を選び選びしながらも思い切って話し出しました。
私の本心は、「自分の喜びだけを追求して生きていいのか…?」という強烈な思いです。
この思い自体は、悪いことではありませんが、他の考えを全否定して聴く耳を持てないことが大きな問題でした。
ましてや、私が実現できていることでもないのに、思い上がりも甚だしく、何をかいわんや…です。
他の参加者の方々も真剣にディスカッションに加わってくださった中で、私は、自分の凝り固まった正義感や価値観にがんじがらめになっていて、観念の中で苦しんでいたことに気づかせていただけました。今では、話せて良かったと思います。
ブログのテーマや文章に悩んでいると思っていたことが、実は、私の大切な生き方に直結していて、今がその観念を開放していくタイミングの時だと気づかせていただいたのです。
無力感や罪悪感は、大切なことで、簡単になくしてはいけないと思います。
それがあるからこそ、傲慢にならずに済みますし、少しでも成長する糸口になることでしょう。
すっかり、この「ブログ」の場を、私の懺悔のような場にしてしまいました。ご容赦ください。
また明日から、ブログのテーマになることを、意識して日々過ごしていきたいと思います。

コロナ第2波の到来

昨今、新型コロナの感染者数が激増して、第2波が到来していますが、プロ野球や大相撲も制限付きではありますが、観戦できるようになりました。
これからは無暗に非常事態宣言が出されて、隔離状態にならないよう、それぞれが防衛策を講じながら、新しい社会を共に創造していきたいものです。
今日は、三番目の孫の2歳の誕生日でした。
じいじとばあばからの誕生日プレゼントは、最近蹴ることがお気に入りになったようなので、「サッカーボール」になりました。
子供達の成長は、純粋に励みをもらいます。
私もしっかり、楽しい生き方をさせていただいていました。

(2020年7月26日 若杉)

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