運は〈いい〉か〈悪い〉がではない

喜多川泰さんの『運転者』

時々本を貸してくれる、ありがたい友人がいます。
その人は喜多川泰さんの新刊が出ると必ず買い、読ませてくれます。
喜多川さんは学習塾を運営する傍ら、作家としての活動をされてきた方です。
財団時代、講演にお招きしたこともあります。
オフィシャルサイトの著作一覧にはすでに21冊の本が紹介されています。
本を出される度に、ストーリーテラーとして進化を続けていることが伺える一方で、人としての生き方についてのメッセージは一貫し、ブレることがありません。
それで新刊を読むたびに、われとわが身をふりかえり、姿勢を正される思いがするのです。

で、今年出版された最新刊がこれです。

一言で言えば、自分の運のなさを嘆いていた主人公が不思議なタクシーとの出会いによって、人生を変えていくというお話です。
そう言ってしまうと身も蓋もありませんね…。
でも、読み進めるうちに「運」について、「プラス思考」について考えさせられ、少しでも自分を変えていこうと思わされる本です。

運は〈使う〉か〈貯める〉か

自分は運がいいと思っている人がいます。
一方で、運が悪いと思っている人もいます。
まあ、どっちもあるなぁという人もいるでしょう。
本の中メッセージです。(以下『運転者』より引用)

運は〈いい〉か〈悪い〉で表現するものじゃないんですよ。
〈使う〉〈貯める〉で表現するものなんです。
先に〈貯める〉があって、ある程度貯まったら〈使う〉ができる。
運は後払いです。何もしていないのにいいことが起こったりしないんです。
周囲から〈運がいい〉と思われている人は、貯まったから使っただけです。

なるほど。
一方で、反論もしたくなりませんか?
生まれも育ちも最初から運がいいっていう人もいるんじゃないの? とか、
何をやってもさほど努力せずにうまくいっているように見える人もいるけど…、とか。
それに答えるには「誰が貯めたのか?」ということも考えなくてはならないでしょう。

『運転者』では、今の自分の「運」は決して自分が貯めたものだけではないと書かれています。
他の誰かが(例えば過去の世代が)自分たちのために貯めてくれたということです。
そう言われてもあまり現実味はありませんが、祖父母の時代は戦争中で生きるだけで大変だっただろうなぁ、などと想像することはできます。
本当に自分がしたいことに想いを馳せることすら叶わず、子どもや孫の安寧をひたすら祈って逝った人たちは、本人もそうとは知らずに子孫のために運を〈貯めて〉くれたのかもしれません。
私自身、日ごろは自分とその周りのことに心を奪われ、時代の流れの中で受け継がれた運の貯金ということまで考えることがなかったなぁと反省しました。
とはいえ、節約してばかりで楽しくない人生だったとしたら、いくら運が貯まっても、それを受け継ぐ人は快く使いにくいかもしれません。
あとどのぐらい生きていられるんだろう、などと時々考えるのですが、自分としての人生を十分に生きながら、わずかでも運を〈貯める〉人でありたいと思った次第です。

(2019年5月5日 岩田)

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