自分軸と他人軸のバランス
「忖度」は人間関係の潤滑油
日本人の特徴の一つに、「忖度(そんたく)」が挙げられます。
2017年の「新語・流行語大賞」の年間大賞に「忖度」が選ばれたことも、皆様の記憶に新しいことでしょう。
その意味は、「人の気持ちを察すること。他人の心情を推し量ること。また、推し量って相手に配慮すること」ですが、ともすれば「長いものには巻かれよ」的に、「勢力・権力のある者には逆らわない方が得である。」と捉えて使われることもあります。
私も年を重ねて、「忖度」も人間関係の潤滑油にもなるのかなと思ったりもします。
過去を振り返って、若い時は正義感に燃えて、理に合わないことに憤りを感じたり、社会的弱者の方たちを支えるために弁護士を目指したいと考えたことも、今では懐かしく思い出されます。
現代人の特徴でもありますが、常に人と比較したり競ったり、或いは人からどう見られているかなど、評価を気にする傾向が多く見受けられます。
私も御多分にもれずその傾向が強く、人に嫌われたくないとか、いい人に思われたいとか、つい、他人に対して自分はどうであるかを基準に考えて生きていく、「他人軸」に考えが傾きがちです。
「自分軸」の生き方
心理学を学び始めてから、徐々に心の深い部分に関心が湧き、特に最近では、自分の価値観や生き方・あり方に意識を向けることが多くなりました。
更に友人の影響もあって、「自分軸」の生き方に関心と意識を強く持つようになりました。
ちなみに、「軸」とは、「活動や運動の中心となるもの」という意味があります。
「他人軸」だと、常に周りの目を意識しているので、その都度人の意見に左右される為に、思考や行動に一貫性が無くなり、優柔不断になってしまうこともあります。
一方、「自分軸」は、「自分はどうありたいか」を基準に考えて生きていく生き方なので、他人からどう見られるのか、またどのような評価をされるのかなどはあまり気にしません。
それよりも「自分はどうしたいのか」「自分はどうあるべきか」ということが重要で、自分の意思決定に従って行動します。
これは、決して「自分勝手」なのではなくて、「自分の道は自分で切り開こう」と思うだけなのですが、自分を貫く思いが強すぎるあまり、気付かないうちに他人に迷惑を掛けることのないように、周りへの配慮を怠らない努力が必要になります。
自分勝手・自己中心は、自分の意思で人をコントロールしようとする、単なる我がまま。
「自分軸」は、自分の価値基準を持っていても、それを人に押し付けることではありません。
「自分は自分、人は人」という明確な線引きができていることが大切です。
人生の主人公は自分自身
自分軸をはっきり認識して、物事を考えるようにするためのコツは、
「私はどう思うか?」
「私はどうしたいか?」
「私ならどうするか?」というように、「私」という主語をはっきり認識することが大切だと言われます。
自分で考えて、選択して、行動して生きて行くと、失敗しても後悔しないで受け止めていくことが出来そうです。
自由には責任が伴うので、言い訳や何かのせいに出来ない厳しさもありますが、自分の正直な気持ちに耳を傾けて、いくつになってもチャレンジしていきたいものです。
「承認欲求」と「相互尊重」
「承認欲求」とは周りの人たちから認められたい、尊敬されたい、好かれたいといった欲求のことで、マズローの「欲求の5段階説」の4番目に当たる、人間の基本的欲求です。
人間は、共同体の一員として繁栄してきた「社会的」な生き物なので、誰しも「承認欲求」は、本能的に備わっています。
それゆえに、「他人軸」を考えることも否定することではなく、大切な価値観と言えましょう。
アドラー心理学の創始者、アルフレッド・アドラーの有名な著書、『嫌われる勇気』では、過度の「承認欲求」を見直して捨てることが、幸せになるための一つの方法だと教えています。
健全な人間関係は、「自分軸」「他人軸」というものをお互いが認識し合い、尊重し合っている関係、すなわち「相互尊重」のコミュニケーションこそ目指すべきではないかと思います。
「相互尊重」とは、「自分軸」も「他人軸」も考慮に入れて、自分と相手との間に、程良い境界線を受け入れている状態、すなわち「私は私、あなたはあなた」という考え方のことです。
人は、ともすれば自分の考えが正しいと主張して、柔軟に他の価値観を吟味もせずに退けがちですが、器を広げて多様性を認めることは本当に難しいものだと痛感します。
どんな時も、一方に偏らず、バランスを取ることが大切だということを、また教えられました。
(2021年6月13日 若杉)