何が対立を終わらせるのか?
フェデリコ2世の治世から感じたこと
歴史の中で多くの戦争が起こりましたが、戦争は始めるよりも終わらせることが難しいといいます。
現在ウクライナや中東で起こっていることも、その終結は未だ見えず…。
直面するとツラい気分になるので、私は最近ニュースを直視することができていません。
目をそらせる私はまだ幸いですが、現地の人たちはそうはいきません。
が、日本だってこの先どうなるかはわかりませんよね。
何事も起こったらそれを受け入れ、何とかするしかないと腹をくくっているつもりですが、それでも世界はこれからどうなっていくのだろうと、漠然と考えてしまう昨今です。
先日NHKBSで俳優の佐々木蔵之介が南イタリアを旅するという番組を観ました。
そこでは、奇跡の平和を実現した天才皇帝として、フェデリコ2世が紹介されていました。
イタリア語でフェデリコ2世ですが、ローマ皇帝としてドイツ名はフリードリヒ2世。
生まれたのは1194年、没したのは1250年で、18世のプロイセン王・フリードリヒ2世とは別人物です。
拠点としていたシチリアは、イタリアだけでなく、ノルマン・ドイツ・ビザンツ・イスラムなどの要素が混在していたといいい、国際的な環境だったといいます。
のちの歴史家ブルクハルトは彼を「最初の近代的人間」と評価しました。
実際、フェデリコ2世は4歳でラテン語を習得した後、アラビア語を含めた6カ国語に通じ、科学に強い関心を示し、文芸を保護するなど開明的な文化人だったようです。
番組が「奇跡の平和」という言葉を使ったのは、彼が神聖ローマ皇帝として十字軍の指揮を約束させられながら、戦を回避し、当時の社会的な死である「破門」を受けながらも、イスラムとの講和を実現したからです。
十字軍は11世紀から13世紀にかけて何度か行われ、その目的は異教徒であるイスラムを敵とし、聖地エルサレムを奪還することでした。
フェデリコ2世はイスラムと戦うことは無意味だと信じ、教皇の指示に従わず(だから破門されたわけですが)、アラビア語を駆使し、イスラム王朝のスルタン、アル=カーミルと3年以上手紙でやりとりしたといいます。
その結果、1229年ヤッファ条約が結ばれ、10年間の期限付きでエルサレムがキリスト教徒に返還され、双方が宗教的寛容を約束しました。
ひとりの人間としてのフェデリコ2世がどんな人だったのかはわかりませんが、少なくとも争い以外の方法での解決を探る英明さがあったことがわかります。
彼が休戦を実現できたのは、幼少期を過ごしたシチリアの国際的な雰囲気の影響があったからでしょう。
多くの文化を受け入れていた豊かさこそが、視野の広さを生んだのだと思います。
翻って現在、SNSなどを通して膨大な情報に接することができますが、逆に私たちの視野はどんどん狭くなっているのかもしれません。
人と人との和解には、相互理解が必要です。
偏狭な視野を広げなければ、他方の事情を理解することはできません。
国と国の対立となれば問題はさらに難しくなります。
どうしたら互いに寛容さを示す世界を実現できるのか?
答えの出ない問いですが、フェデリコ2世はモデルのひとつを示してくれているような気がしました。
(2024年11月25日 岩田)