「身の丈に合ったこと」とは?
「人と比べない」から
毎月1回の対面の読書会。
今日は参加者の友人の方が新たに参加され、全員で9名でした。
3時間が毎回あっという間ですが、今回も和やかな時間になりました。
5月から枡野俊明さんの『禅、シンプル生活のすすめ』を読んでいます。
それぞれが関心をよせた言葉の中に、「身の丈とは何だろう?」という問いがありました。
最近耳にすることが少なくなったように感じますが、「身の丈に合った生活」などと言われると、一応誰もがなんとなく意味を解することができると思います。
では、自分の身の丈とは何だろう?となると、答えに窮します。
みんなで考え込みながら、シェアをしていく中で、洋服に例えた人もいました。
サイズの小さい服を着たら窮屈だし、逆に大きすぎても落ち着かない。
身の丈に合う服はサイズが合い、着ていて心地よさを感じます。
同じように身近に普段は持たないような高価なものがあったらどうか?
落ち着かないのであれば身の丈にあっていないのかもしれません。
ところで本の中で「身の丈」という言葉が出てきたのは、「人と比べない」というタイトルの箇所でした。
人はつい他人と比較し、羨ましくなったり、落ち込んでみたりもする。
最終的には自分の身の丈に合ったことのくり返しが幸福につながっていくものだ。
という意味の文章で締めくくられています。
ふと思ったのは、若さの強みは身の丈がわからないということでもあるのかな、ということです。
自分自身をふり返っても、若い時は今以上に人と比べていたし、高望みもしていました。
いろいろなことができる気になって挑戦するのが若さの特権ですよね。
そもそも洋服のサイズと違って、自分の可能性を含めた身の丈を測ることは不可能です。
長年の経験を経て、ある程度自分の身の丈に気づいて落ち着くのは老境に入ってからで十分です。
若い人が身の丈を気にせずに挑戦する姿を観られるのは希望的ですし、応援したくなります。
「身の丈」という言葉から考えたことを書いてみました。
(2024年6月23日 岩田)