自分をよく治めるために

唐の太宗の「三鏡」

出口治明さんの『座右の書『貞観政要』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」』という本を数日前から読み返しています。
『貞観政要』そのものは唐の太宗(李世民)の言行録として、太宗と部下の問答などが10巻40編にまとめられたものですが、私にはそんな大著はとても手に負えません。
なので、わかりやすい解説によって、なにがしかの知識を得られることはありがたいです。
さて、太宗は次男でした。
彼が第2代皇帝となったのは、肉親との血なまぐさい争いに勝利したからです。
だからこそ名誉を挽回するために、よき君主を目指したのだそうです。
なるほど、皇帝となれば歴史に名前が残ります。
その際に、どんな皇帝として記されるかを太宗は考えたのでしょうね。
世界史の授業で「貞観の治」という言葉を習った記憶がよみがえりました。
長い中国の歴史の中でも数少ない善政が敷かれた時代を実現したのは、確かに彼がそれを目指したからでしょう。

今回読んでいて心に響いたのは、リーダーの要諦としての「三鏡」です。
第1の鏡は「銅鏡」。
昔の鏡は銅でできていたから、「銅の鏡」は現在私たちが自分の姿を映す鏡と同じですね。
自分で自分の表情は見えませんが、他者には見えています。
その表情が明るければ、他者も明るい気分になりやすいものです。
鏡があるかのように自分の表情を意識することは、組織のリーダーだけでなく、誰にとっても大事なことです。
加えて、表情は気分に影響します。
笑顔でいたら自分の気分も明るくなり、軽やかに行動できるようにもなりますね。
すると他者への笑顔が増えるという好循環が生まれるというわけです。
第2の鏡は「歴史の鏡」だそうです。
過去に照らして、将来に備える。
人類の歴史は学びの宝庫ですし、自分や身近な人の過去から学べることも多いですね。
視野が狭くなっている時はどうしても目先のことしか見えませんが、一歩下がって長い時間を俯瞰してみたら、見え方が変わります。
知ってはいても、なかなかできることではありませんが、「三鏡」を意識することで、視点を切り替えることができるかもしれません。
第3の鏡は「人の鏡」。
自分のそばにどんな人を置くか、ということ。
太宗は、自分を殺そうとした兄の側近であった魏徴(ぎちょう)を、自分の側近として取りたてました。
魏徴は皇帝を諫める役職を全うし、貞観の治を支えました。
なかなか自分に敵対していた相手の部下を召し抱える人はいませんが、それができたというのが太宗のすごいところなのでしょう。
国を善く治めるという目的があったからでしょうが、耳に痛い言葉をも進んで聴こうとする姿勢は少しだけでも見習いたいものです。
結局これら「三鏡」は、国を治めるための要諦であるとともに、私たちが自分を治めるための要諦だな、と思いました。
太宗の足元には遠く及ばなくても、良いと思ったところは意識してみたいものです。

(2024年5月12日 岩田)

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