損か得かを考えるだけでは十分でない

選択に迷うとき、どうやって決めようとしますか?

先日ある学生から、将来のことでとても悩んでいるという話を聴きました。
昨日話を聴いた人も、キャリアのことで迷い、すごく考えていました。
私たちはよく迷い、そのたびによく考えます。
選択に迷うときほど、最善の選択をするために私たちは思考をフル稼働させています。
そこでは「分析し、比較する」という思考の力が使われます。
比較し、結論を導き出すときの基準とは何でしょうか?
多くの場合、それは「損か得か」です。
企業で採用を担当している人は、会社にとって「得」になる人を選ぼうとします。
就活生はさまざまな観点から自分の将来にとって、より「得」になる会社を選ぼうとします。
旅行先を選ぶ、住まいを選ぶ、買い物をするときも、やはりどれが「得」かを私たちは考えます。
エゴは自分を守ることを最優先にするので、これは自然なことです。
ただ、十分に比較し決めたことにもかかわらず、後悔することもありますね。
この人なら、この会社ならと決めたものの、やはり他の選択をした方が良かったのではないかと思うことがあるでしょう。
身近なところでは、いろいろ比較してネットで購入したものが、何日かして同じ商品が値下げされていることを知り、がっかりしたというような体験もあります。
損か得かを基準にすると、ずっと「得」をしていないと満足できないものです。

選択が後悔を生むこともある

損得を考えることで有利な選択ができるというメリットがあるわけですが、その選択がずっと「得」である保証はなく、後悔する可能性をはらむのも事実です。
そして後悔はかなりのエネルギーを消耗します。
「なぜ反対の方にしなかったのか?」「もう少しよく考えたら違う結論がでたかもしれないのに…」などと、自分を責めてみたり、別の可能性についてぐるぐる考えることになるからです。
エネルギーを消耗する割に、どうにもならないことを考えるだけで全く生産的ではありません。
人間らしいといえばそうですが、経験として未来に活かせなければ、これも「損」に違いありません。
正しい選択をしたい、ずっと得をしていたいと思っても、現実がどう転ぶのか予想はつきません。

後悔にエネルギーを使わないために

選択の決め手となるのは思考だけではありません。
「快か不快か」を基準にする「感覚」や、「好き・嫌い」で判断する「感情」を使うこともできます。
いずれの場合でも最近私が大事だと思っているのは、選択の責任を引き受けると決めることです。
思考の「ものごとを決めることができる」という特徴を活用します。
その時は最良と思った選択が、そうではなかったとわかったときも、あらかじめ選択の責任をとることにしていたら、「その時はそう思って選んだのだから仕方がない」と思えるものです。
結果的に後悔することはなくなるか、少なくなります。
場合によっては、想像しうる最悪も想定した上で選択し、仮に最悪になっても受け入れるぐらいの覚悟をするようにしています。
たいていの場合は最悪よりは前でとどまるものです。
選択の結果が悪くても、後悔にエネルギーを使わないだけでも「得」はするのではないでしょうか。
「損得」も全体性の中からとらえたいと思っています。

(2023年7月2日 岩田)

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