手軽にできるマインドフルネス

注目されているマインドフルネスとはどういうもの?

「マインドフルネス」という言葉をよく目にするようになりました。
私は自分で瞑想まがいのことをすることがありますが、マインドフルネスについてはあまり詳しく知りませんでした。
ご縁があって明日、関西学院大学の池埜教授のお話を伺います。
その予習のためにご著書の『福祉職・介護職のためのマインドフルネス』という本に接して、マインドフルネスは意外にも日常生活に簡単に取り入れられそうだということがわかりました。
まずは、そもそもマインドフルネスとは何かということです。
本によると、インドからスリランカ、東南アジア諸国に伝来したテーラワーダ(上座部)仏教に由来し、現代社会でストレスの低減や症状緩和のために世俗化され、幸福を得る手段として変容したものだそうです。
2013年に発足した日本マインドフルネス学会での定義は「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価せずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」とのこと。
なるほど、と思いました。
この定義で、私が勝手にもっていた「マインドフルネス=本格的な瞑想」というイメージが覆されました。
それならいつも心がけていることに近い、という感じです。
が、よくよくわが身をふり返ると「今この瞬間の体験に意図的に意識を向けられているかどうか」も実は怪しい…。
ある程度やっているつもりでも、できていないことは多いものです。
ということで、興味深々で読み進めました。

「することモード」と「あることモード」

日本にマインドフルネス認知療法の第一人者である越川房子教授は私たちの「こころの動きを「することモード(doing mode)」と「あることモード(being mode)」の2つに分けているといいます。
「することモード」は仕事などに追われているときのモード。
今日はこれだけのことをしようというような目標を立て、それを次々とこなしている状態ですね。
やることがあるのは充実しているという感覚をもてる半面、それらが自分のキャパシティを超えるとストレスを感じます。
また、目標通りできない時には自分否定にもつながりやすいものですね。
予定したことができたらすぐに次のことに取り組むというサイクルは、ストレスと自己否定のリスクをずっと抱え込みながら進んでいくようなものです。
私なども大したことをしているわけでもなにの、「疲れた」「解放されたい」という心の声に気づくことがあります。
「あることモード」については、池埜先生の本より引用させていただきます。

「あることモード」は、マインドフルネスによって耕されます。「あることモード」のこころは、目標を設定せず、今、この瞬間の感覚に気づく、目覚めるような状態です。勝手に湧き起こる考えや思い、過去の記憶や未来への不安を「いい・悪い」で判断せず、ただ受けとめ、「今」にこころを寄せていきます。「することモード」によって生み出された「とらわれ」からスペースを設け、ストレスに支配されない、瑞々しい本当の自分との出会いが可能になります。

『福祉職・介護職のためのマインドフルネス』池埜聡著より

日常のマインドフルネス

マインドフルネスにはもちろんいろいろなやり方があるようですが、本の中では「食べる瞑想」なるものが紹介されていました。
食事のときに「あることモード」にギアチェンジして、食材を観察する、それに伴う身体感覚を感じる…。
口に含むときも、舌触りを味わい、ゆっくり噛み締めながら、口の中にカメラがあるように食材が咀嚼されていく様子を想像し、飲み込みたいという衝動をどこで感じているのかに注意を向ける、などだそうです。
日常のどの瞬間も私たちはたくさんのことを五感で受け取っているにも関わらず、そこに注意を向けることを怠っているようです。
幸せを感じるのは五感を通してだというのに、忙しく頭を働かせているうちに、それを忘れていることが多いのだと思い知らされます。
頭でわかっていることも、実践に結びついていなければその知識は役に立たないものです。
実践することは体感すること。
「あることモード」は体感とともにあります。
本の中では「歩く瞑想」も紹介されていました。
マインドフルネスは日常の中で五感を研ぎ澄まし、生きているという実感を呼び戻すものだと感じました。
忙しく活躍する人ほどその価値に惹かれるのもわかる気がします。
気軽に生活に取り入れたいですね。

(2021年9月12日 岩田)

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