結願の金刀比羅詣り

金比羅さまとのご縁

5月20日に、香川県の「こんぴらさん」の名で、海の神様として広く親しまれている『金刀比羅宮』(ことひらぐう)に参拝に行って来ました。
ご承知のようにご本宮の御祭神は、大物主神と崇徳天皇。
古来から、農業・殖産・医薬・海上守護の神として信仰されています。
私は、金刀比羅宮には今回で6回目の参拝となります。
ここで、少しなれそめからお話ししたいと思います。
母が36年前に、金刀比羅宮の神様とご縁を結んでいただいて、大阪の実家にお祀りさせていただくことになり、その翌年の5月20日から5年に1度お礼参りに行くことのお約束となったようです。
その2回目のお約束の、10年目となる前日の夜、母が翌日のお詣りの準備をしてお仏壇でお祈りをしているさ中に、心筋梗塞で倒れて病院に。
お詣りの当日は親類が代わりに行ってくださり、母はその日の夜に息を引き取りました。
後日、私も含めて兄姉でお詣りしたのが最初です。
それから25年が経ち、初めから数えて35年。そして、この5月20日にお礼参りの結願(けちがん)、いわゆる満願の時を迎えました。
当日は朝早くに兄の車に乗せてもらうために、前日の夜に大阪の実家に泊めてもらうことに…。
緊張と興奮が相まって、当日の朝起床する4時まで、やはり眠れませんでした。
5年前のお詣りでは、ご本宮まで神社の許可証をいただいて車で上ることができ、しかも、台風の被害で「奥社」までの道が閉鎖されていたので、本殿でお祈りさせていただきました。
通常の「金刀比羅詣り」は、本宮まで785段の階段を徒歩で上ります。
今回も許可証をいただいて、本殿まで車で行くことができ、その後、「奥社」までの583段を上って、「厳魂神社」(いずたまじんじゃ)でお詣りする運びとなりました。
コロナ禍で、思いのほか急激に私の足腰や体力が衰えていて、友人たちとの昨年の比叡山・延暦寺への1泊旅行の折にそのことに気づき、愕然としたのですが、気を取り直して、このお詣りを見据えて、日々歩くことを意識し、足踏みの健康器具を買って毎日鍛えることで備えを図ったつもりでした。
更に、折り畳みの「杖」を携えて行けば、もう準備万端!
私の記憶では、階段の両側に手すりもしくは縄が張られていたと信じて疑わなかったのですが、いざ奥社への道に臨んだ途端、そんな甘い妄想は一気に吹っ飛んでしまいました。

一段一段まごころを込めて、階段を踏みしめる

考えて見ればそこは観光場ではなく、行場ですから、険しいのは当然です。
途中途中には平地が組み込まれてはいましたが、手すりなどは全くなく、奥行きの狭い階段では足が踏ん張れずに、一歩目からふらついてしまいました。
心配した姉が、すぐに私の手を引いて一段一段支えて一緒に歩いてくれました。
後ろから上って来る人達の声に励まされ力をいただいて、汗まみれになりながら、それでも途中で棄権する思いは全く湧かずに、何とか上り切ることができました。
神社の左手の断崖上方に彫られている「天狗」と「烏天狗」の姿を見た時に、よくぞ到着させていただいたと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
余談ですが、毎年春と秋に、金刀比羅宮の職員の方々が、1368段の階段の掃除と手入れをなさっているそうで、つくづくと有難いなと思いました。
無事に、「結願」のお詣りに参列させていただくことができて本当に、ホッとしました。
下りは、頭から落ちそうで危ないからと、兄嫁がもう一方の手を引いてくれて、両手を引かれながらの下山。
帰りのインターチェンジで、名物の「さぬきうどん」を食べて、お灸のもぐさの形をしたおまんじゅうの「灸まん」と、うどんのお土産を買って、帰路に着きました。
1つの目標を終えた安堵から、少し気が抜けていますが、家族の支えの有難さを痛感した、一生の記憶に残るお詣りとなりました。
今回のお詣りを振り返ることで、益々自分に出来ることを、家族に限らず周りの方々への「ご恩返し」として、しっかりと心掛けて行きたいと決意を新たにしている次第です。

(2023年5月28日 若杉)

関連記事

アーカイブ

ページ上部へ戻る