「無常」から見た世界

日本の凋落という声を聞いて

コロナ禍も一段落したとみていいのかどうかはわかりませんが、観光地や市街地に多くの人が行きかうようになりました。
最近、城崎温泉の方に向かう特急に乗るようになったのですが、3両編成の車両に何組も外国人観光客の姿があり、京都などメジャーなところだけでなく、いろいろなところを訪ねているのだと感心します。
自由に行き来ができる平和な状態で生活ができることはなんとありがたいのでしょう。
世界の中ではそれが難しい場所も多いことを思うと、感謝しかありません。
ところで、外国人観光客にとっては今の円安はありがたいことでしょう。
20世紀のある時点の日本は、旅行客にとって物価の高い、従って気軽に観光しにくい国でした。
それだけ国力が低くなったのだと嘆く人もいます。
確かに「失われた30年」と「産業の低迷」などで日本の未来に明るい展望を持てないというような論調もあります。
昨日も友人からそんな話が出てきました。
なるほどと思いましたが、私個人としては直ちにそれに同調したい感覚にはなりませんでした。

どの観点からものごとを見るのか

コーチングでは、何が起こっているのかという事実とともに、それについてどう感じているのかを聴き取ります。
あることがその人にとって良いことなのか悪いことなのかを決めるのは、その人自身の受け取り方です。
誰が考えても不幸な出来事に見舞われた場合であっても、時間をかけた末に当事者が前向きに受け止めることができたら、それはもはや悪いこととは呼べないかもしれません。
一般に、起こったことをより冷静に受け止めるためには、高いところから眺めることが大事です。
歴史や先人たちの生き方から学ぶことは、そのような視点を獲得することにつながります。
そして、高い視点を代表する言葉のひとつは「無常」なのではないかと思います。
紀元前500年頃ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、「世界の実相は生々流転」と説きました。
ショーペンハウアーは「絶えざる変動こそ、世界の普通の状態である」と言ったそうです。
私個人にとって国語の教科書の中で最も印象に残っている言葉が、平家物語の「祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり」です。
この世界において同じことがずっと続くということはない、このこと自体は不変の真理のようです。

無常である世界はどこへ行く?

そんなわけで、すべてが無常であると考えれば、現在の日本の状態もいずれまた変わっていくということになります。
日本の今を憂いている人は、経済大国と呼ばれた状態が日本の本来の姿であることと、今の低迷がずっと続くことを前提としているような気がします。
(そもそも第二次大戦前までの日本は極東の小国でしたが…)
前提を見直すと当然結論も変わります。
過去の状態も一過性のものであり、世界は常に動いているという前提に立ったら、人々の目には何が映るようになるのでしょうか?
少なくとも広がりは生まれるような気がします。
個人でできることには限りがあるかもしれません。
それでも静かに目の前を見、未来のために自分ができることを考えてみることは可能です。
「無常」をキーワードに、現在と未来をとらえ直してみたいと思っています。

(2023年4月23日 岩田)

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