絵本は深く読める

物語の力

前回、心理学者クルト・レヴィンの「解凍・混乱・再凍結」のモデルについて書きました。
学問という形にするためには、日常に起こっていることを普遍化する必要があり、言葉も難しくなりがちです。
それはそれで素晴らしいですが、一方で私たちが肌感覚で理解していることをわかりやすく伝えてくれるものがあります。
それが「物語」。
「物語」には神話や昔話、童話のようなものから小説まで、さまざまな形がありますね。
絵や映像をつけると、絵本やドラマ、映画になります。
臨床心理学者・河合隼雄さんの京都大学での最終講義でも物語のお話がありました(今でもYouTubeで観られます)。
「コンステレーションについて」と題された講義では、長新太さんの『ブタヤマさんたらブタヤマさん』という絵本が紹介されています。
蝶をとろうと必死なブタヤマさんの背後に、恐ろしいものが迫ってくる。
「ブタヤマさん、後ろを見てよ」と呼ばれても、ふり返ったときにはそれが消えている。
それがくり返されたあげく、最後までブタヤマさんは起こったことに気づかない、という内容です。
コンステレーションとは星座を意味しますが、ある出来事に対して背景を含めた全体のような意味だと私は解釈しています。
全体をより広く深く観なければ、出来事への理解も浅いものになってしまう。
講義の中で河合先生は、この絵本が見事にコンステレーションを表していると語られています。
文章にしたら長々と説明が必要になってくることを、絵本は物語と絵によって端的に伝える力があります。
そして、大人にとっても大切なことが含まれていることが多いのです。

対話によって得られる豊かな理解

昨日、「美味しい絵本セラピー」に参加しました。
季節ごとに1回ほど開催されている会ですが、私は予定があえば必ず参加しています。
絵本を読み聞かせてもらい、1冊ごとに感想や気づきを参加者でシェアし、その後に絵本をモチーフにしたお料理をいただくという、文字通り美味しい企画です。
今回の3冊は『かみさまのめがね』『シナの5にんきょうだい』『おれたちはパンダじゃない』。
全く違うテイストの本ですが、突き詰めると共通点もありました。
で、毎回参加者の視点の違いも知ることができるのが醍醐味です。
例えば『シナの5にんきょうだい』は、裁判で死刑を言い渡されてしまった長男の立場を、そっくりの兄弟が刑の種類に合わせて次々に交代していくというお話です。
結局、どのやり方でも死ぬことはなかったため、最後は無罪になるのですが。
その中で毎回の死刑の様子を見物する村人たちの様子が描かれます。
人間の残酷な部分といえばいいのでしょうか、村人たちは娯楽のようにそれを見ようとするのです。
そこに注目し、SNSの一部の傾向に似ているという意見がありました。
それを言われたのは、多くのフォロワーをかかえるインスタグラマーの方です。
SNSの状況をより身近に感じているからこその発言でしょう。
私からはあまり出てこない発想に、なるほど!と思いました。
偏った見方でものごとを見てしまいがちなのは、誰にとっても同じです。
それに気づく機会として、同じものを見ながらの対話は大事だということを再確認しました。

(2023年10月22日 岩田)

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