考える力が必要な時代になってきた
記憶は体験によって作られる
学生時代どんなことを勉強したか、覚えていますか?
私の場合、教科書の中身で覚えている部分なんて、ほとんどありません。
多くの人がそうなのではないでしょうか。
その理由は、授業が先生の話をただ聞く(あるいは聞いているふりをする)ことに終始していたからだと思います。
で、中間・期末試験の直前になると、教科書を丸暗記してなんとか試験を乗り切る…。
試験が終わると、あっという間に覚えたことを忘れる…。
その繰り返しでした。
実際、短期的な記憶は3日以内に反復しないと、ほとんど長期的な記憶に残らないというデータもあります。
授業内容に興味がなければそれを深めようとは思いませんから、結局忘れていくというわけです。
覚えるのに使った時間が、なんだかもったいなかったという気もしますが、当時はそれ以外の選択はありませんでした。
では、今も覚えていることはどんなことでしょうか?
暑い夏に練習した部活のこと、校外学習のこと、友人関係のことなど、それが良い思い出かどうかは別にして、記憶に残っているものはすべて印象に残る体験を伴っています。
人間の記憶というのは体験の蓄積です。
インパクトのある体験ほど覚えているということは、誰もが実感しているでしょう。
アクティブ・ラーニングは学校だけの話ではない
2020年以降、小学校から高校に至る教育が見直されようとしています。
アクティブ・ラーニング(能動的な学習)も取り入れられようとしています。
大学教育の質を変えるために使われた言葉ですが、「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習」といわれます。
主体的ということは自ら興味関心を持ち、考えること。
協働的ということは他の人とのかかわりの中で学びを磨き上げていくこと。
これは、学校だけの話ではありません。
AIの台頭と、ロボットが人間に変わって仕事をする時代がすでに始まっていることを思えば、社会においても能動的に学ぶ姿勢は不可欠です。
目の前の課題、悩みに対して、誰かが解決してくれることを待つのではなく、自分に何ができるのか、どうしたら解決できるのか考えることが必要な時代です。
ただ、経験から思うのですか、実際には私たちはどうやって考えるのかもよくわかっていないんじゃないでしょうか。
考えようと思うと、「考える」って本当はどうすることなのかわからなくなることがあります。
学校で「考える」訓練を受けたことが少ないことも影響しているのでしょう。
考えるとはどういうことなのか、自分は本当に考えているのか、他に考える方法はないのか?
そんな問いを繰り返しながら、日々の体験を通して自らが実感していくことが大事と思っています。
子どもたちとともに、大人もまたアクティブ・ラーニングを実践していくことで、未来は変わってくるのではないか…そんな期待も持っています。
(2018年2月15日 岩田)