日々学びの好日

「セッション・トレーニング」での問いかけ

カウンセラーとして活動させていただいて、もう40年近くになります。
今でも仕事だけでなく、心理学を学ぶ仲間たちとのセッション・トレーニングの場をいくつか持っています。
先日、3人でセッションをしました。
ガイドとクライアント、そしてオブザーバーとして流れを見る役割の人との3人が1組となります。
私はガイド役で、クライアントは古いお付き合いの、人柄も課題もある程度理解しているメンバーでした。対話形式でセッションが進み、穏やかな流れの中でお互いに気づきがもたらされて終了となりました。
最後にそれぞれ感想などのシェアをしたところ、オブザーバーの人から質問があって、「若杉さんは、クライアントの課題に対して、自分とは違うと思われましたか、それとも自分と同じだと思って対応しましたか?」と。
私はその質問の意図が理解できないままに、「違うところも、共感できる面も両方ありました。」と答えました。
オブザーバーから全体の感想として、「祖母の見守りのようだった。」とシェアされました。
私のガイドとしての接し方に否定や非難をされた訳ではありませんが、「自分なら課題を解消するために、過去の経験に目を向け、気づきを促す質問をする。」と言われたので、まるでお祖母ちゃんが孫をそのまま包み込んで受け止めていたようだという意味だったようです。
言い訳になってしまいますが、私はお相手を、クライアント力のある人だと認識していましたので、いろいろな角度から視野を広げるだけで、気づきがもたらされるとゆったりと構えてお話を進めました。
セッションの進め方に正解があるわけではないので、全体の流れをオブザーブする人が居ることで、最後のシェアはとても学びになる大切な時間です。
シェアの時間は和やかに終わりましたが、そこから私の反省が始まりました。
「トレーニングだということで、私のセッションへの取り組み方が真剣でなかったのか?」「クライアントだけでなく、オブザーバーにも学びになるように意識や配慮をすべきだったのか?」等々。
少し深めてみたかったので、翌日の別の対話会の中で話してみました。
そこで、『守破離』という過程が話題に上がりました。
「何事にも人それぞれに「型」を持っていて、そのオブザーバーの人は、セッションでは課題を解消するために、質問をして気づきを促すという型を持っていたのでは…」と言われました。
ああ、そうかもしれないと、ストンと腑に落ちる思いがしました。

「守破離」の極意

そこで、改めて『守破離』について深めてみることに。
守破離とは、物事の習得の段階を表した言葉で、今で言うなら、ホップ・ステップ・ジャンプでしょうか。
剣道や茶道などで、修行における段階を示したもので、『守』は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り確実に身に付ける段階。
『破』は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、技を発展させる段階。
『離』は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
三つの段階の中で最も重要なものは、型を守る「守」。
システムと構造を徹底的に真似ることでの基礎づくり。
野球で言えば「キャッチボール」。
相撲で言えば「四股」。
その後に、自分のオリジナリティを加えてアレンジする「破」の段階に。
更に、環境や場の要請を考慮して、経験を活かして全く新しい知識や技術を作る「離」の段階へと。
ふと、絵画の巨匠、ピカソが思い浮かびました。
ご承知のように、91歳までの生涯を通して10万点近くも作品を残した天才画家で、キュビズムという新たな技法を生み出しましたが、「青の時代」⇒「バラの時代」⇒「アフリカ彫刻の時代」を経て、「キュビズム様式」を確立するに至っています。
基本の土台がしっかりあったからこそ、様々な面から見た視点を一つのキャンバス上に表して、独特な色彩で調和と統合の世界が描かれるようになったのでしょう。

気づきと学びの日々

基本や土台の学びは大切なものではありますが、「守破離」の段階や伝統的な徒弟制度も、時代や環境によって、より合理的・効率的な見直しや進化が必然になって来ると思います。
やはり、トライ&エラーを繰り返しながら、目的意識を失わず、多様性を認める眼、柔軟性を持ち続ける努力をしたいものだとつくづく感じさせられました。
長い引用になってしまいましたが、長年携わってきた「カウンセリング」「セッション」が、私の得意・不得意によって、技法や扱い方が左右されていないか、「守破離」の段階を意識して成長を目指し続けているか…など、沢山の大切なことを思い起こさせてくれた「セッション・トレーニング」でした。

(2023年2月19日 若杉)

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