読書会から得られること

オンラインも対面も進行中

今日は午前と午後にそれぞれオンラインと対面の読書会を開催しました。
オンラインの方は『超訳ブッダの言葉 エッセンシャル版』を1時間半。
今日は全員で9名となったため、後半はブレイクアウトルームに分かれてシェアをしました。
午後は対面で『HAPPY STRESS』の最終回。
対面の方は3時間の設定ですが、本の内容から派生する話もあり、さほど長く感じないというのが毎回不思議です。
ところで、読書会のスタンダードがどのようなものか、実は私はよく知らないのですが、こちらで開催しているものは一冊の本を半年から1年かけて読み進め、参加者が感じたことや考えたことをシェアするというものです。
同じ箇所を読んでも、ある言葉に対するイメージが違ったり、フォーカスする部分が違ったりすることに、毎回新鮮な驚きを感じてきました。
日ごろ自分だけの考えや感覚の中で生きていると、人はそれぞれ違うということが頭の理解にとどまってしまいがちです。
定期的にそうした違いを実感することで、自分の中のバランスも整うような気がするのです。
例えば、今日読んだところに「業(カルマ)」という言葉がありました。
私は、どちらかというとネガティブに過去の因縁を背負っているようなイメージが浮かびます。
が、実際には良きカルマもあるのだそうです。
おかげでカルマに対するイメージが少し変わり、認識が広がった気がします。

言葉のイメージと世界

19世紀後半から20世紀初頭を生きたスイスの言語学者ソシュールは、言語は記号であり、文字・音と、概念・イメージによって成立していると言いました。
文字・音のことをシニフィアン、概念・イメージのことをシニフィエと呼びましたが、前者は現在分詞で後者は過去分詞です。
文字・音は今ここで見えたり聞こえたりするものですが、概念・イメージは過去の経験や文化的な背景などによって形づくられるものですね。
カルマという言葉のシニフィエも、個人によって違いが出てくるというわけです。
実は私たちがコミュニケーションで苦労するのはシニフィエの違いです。
例えば誰かが「最後まで責任を持ってください」と言う時、そもそも「責任を持つ」というイメージが相手と大きく違うことが多いものです。
にもかかわらず、「あの人は言ったことをしてくれない。責任感がない」などと断じてしまい、人間関係も断絶してしまったという例をよく聞きます。
シニフィエの部分をすり合わせようとすることが他者理解につながり、円満な関係を築く礎になるのだとつくづく思います。

読書会は他者理解のための良き機会

読書会は日ごろの仕事や家事と離れた利害関係のない安心な場所、自分と他者のシニフィエの違いに気づくことができる良き機会ではないかと思います。
世の中にはきっと多くの読書会が存在していることでしょう。
自分に合いそうなものを探してみるというのもいいかもしれません。
当講座の対面の読書会の方は、来月から茂木健一郎さんの『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』を読んでいくことになりました。
『赤毛のアン』シリーズは私にとって中学時代の愛読書でしたが、茂木さんの本によって、私もアンからたくさんのことを学んだことに気づきました。
この本を読みながらも、人によって違う受け取り方にふれることができるでしょう。
ホームページを近日中に更新しますが、3月は19日の予定です。

(2023年2月26日 岩田)

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