豊かな想像力は幅広く長期的な視点から生まれる

体験の範囲によって想像できることが違う

1月に神戸で積雪がありました。
朝出かけるために交通機関の運行状況を調べると、JRはアプリでは運行なし、阪急電車は動いていたのでそちらを選択。
駅までの道も雪があるのとないのとでは当然コンディションが異なり、転ばないように歩くことに必死でした。
電車を降りてまた歩き、一時間後に目的地に着いた時にはホッとした気分と軽い疲れを感じたものです。
一年に一度あるかないかという積雪への心構えなど普段からないので、改めて大変さを思い知らされました。
東京では先日も雪が降りましたね。
そんなことをオンラインのグループの中でシェアしたら、北海道在住の方から「関東は雪がトップニュースになるんですね。こっちはほぼ毎日降っています」というコメントが返ってきました。
ちょっとしたやりとりですが、インパクトがありました。
私は北海道の方々の日常について、ほとんど想像力を働かせていなかったと気づいたのです。
私たちの想像力は体験によって大きく左右されます。
雪がないのが当たり前の神戸にいると、北海道では雪が日常だと頭ではわかっていても、その詳細をイメージすることは難しい…。
過去に旭川に行った時、雪が降っていて寒かったというような記憶はあるものの、生活者の実感としての体験はありません。
想像できるイメージが希薄だと、共感もしにくいのだということを改めて知らされた気がしました。

マリー・アントワネットの有名な言葉

そんなことを考えていたら、ふとマリー・アントワネットの言葉を思い出しました。
(人は思わぬところから、いろいろなことを連想するものですね)
フランス革命の動乱期、彼女が「パンがないならお菓子を食べたらいいじゃないの」と言ったというエピソードはあまりにも有名です。
実際にそう言ったかどうかは別にして(本当はそんな事実はなかったようですが)、ベルサイユ宮殿での生活しか知らなかった彼女に、貧しさにあえぎ、お菓子(ブリオッシュ)どころかパンを口にすることもできなかった民衆の生活について教えた人がいたとは思えません。
良いかどうかは別にして、豪奢な宮殿で守られていた彼女にとって、外の世界は未知なものであり、多くの人々の苦悩を想像することは難しかったでしょう。
私たちは見聞きしたこと、特に実際に身をもって体験したことについては想像を巡らせることができますが、知らないことは想像のしようがありません。
結局37歳でその人生を終えることになったマリー・アントワネットですが、2年の幽閉生活ののちに断頭台に送られる道すがら、どんな心境だったのか?
いくら想像力を働かせても、真実には届きません。
中野京子さんの本の中に、その時の様子が描かれたスケッチの解説があったことを思い出します。
誰が描いたものか忘れてしまいましたが、毅然と前を向く姿が印象的でした。
体験が彼女を変容させたのか、それとも本来の彼女がそうなのか、これも私の想像の及ばないところです。

グッド・アンセスターになるという考え方

先日読んだ『グッド・アンセスター』(ローマン・クルツナリック著)には、私たちが長期的な未来に思いを馳せ、よき先祖(グッド・アンセスター)にならなければ、地球も人類も滅びの道を進むしかないというようなことが書かれていました。
マリー・アントワネットの言葉が同時代の異なる環境にいる人への視野を持つことの大切さを反面教師として教えてくれているとしたら、グッド・アンセスターという概念が教えてくれることは、今後何世代にも引き継がれるべき私たちの子孫への長期的な視野を持つことです。
これはさらに難しいテーマですね。
技術の発達により、知らず知らずのうちに私たちは速いものに価値をおくようになっています。
動画も20分を長く感じて、倍速で再生してみたり、ショート動画を選んだりしている人が多いですね。
欲しいものは今すぐに手に入れたくて、ネットで注文したものが3日後に届いても遅いとすら感じてしまいます。
もはや思いだせませんが、20年前ならそれでも早いと感じていたのかもしれません。
短期的な視野しかもてないような日々に慣れてしまうと、100年後、200年後のことを考えるのはますます難しくなります。
どうしたらいいのか?
私にも答えはありませんが、幅広くまわりの世界を見る視点、遠い未来を見る視点、できるだけどちらも意識するようしたいと思っています。

(2023年2月12日 岩田)

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