諦めずに自分と向き合っていく

身体を温めて「冬至」を迎えましょう!

最近では公園で遊んでいる子供たちが、夕方5時を過ぎると夕闇が迫って、三々五々家路に着いて行く姿が見られます。
夏の季節だと、7時でもまだ空は明るかったのに、随分と時間差があります。
北半球では一番昼間の長さが短くなる日が「冬至」で、今年は12月21日になります。
これは、太陽が赤道の南側を通って、最も離れるからです。
この日にはゆず湯に入ったり、地方によってはカボチャやコンニャクを食べたりする風習があります。皆様の故郷ではいかがですか?
昔は「冬至」は運命の終わる日、死に一番近い日と言われていて、その「厄」を払うために身体を温めることで無病息災が願われたことに由来します。
明日から寒波が押し寄せて、随分寒さが厳しくなりそうです。どうぞ温かくお過ごしください!

言葉に捉われて、意図が見抜けない

先日、お世話になった方の追悼礼拝のご案内をいただきました。
コロナ禍ではありますが、勿論参列させていただくことにしました。
そこには「平服でお越しください」という一文が添えられていたのですが、私は、さてどうしたものかとそこで思いが巡りました。
ご参列の皆様や場の状況を考えると、これは洋服を新調するしかないなと思ったのですが、もとよりファッションセンスも乏しく、買い物も苦手で、私にとっては大きなハードルです。
思い当たるお店に2~3件行ってみましたが、用途に当てはまるものが見つからず、途方に暮れかけていたところ、「平服で」と書かれていたのは、お気遣いなくという思いやりの意図だと教えられて、ハッと気付かされました。
そうです!「礼服」での参加でも可だったのです。むしろそれこそが場に合った最適の服装だったのです。
何と私は「言葉」の表面にとらわれてしまって、全体の意図が見えなくなっていたのかと、愕然としました。
あれだけ、「何のために…?」とか、「真意は…?」「意図は…?」と学んできたのに、日常生活の場面ではまだまだ自分の枠の中でしか考えられていない――。
大きな自分へのダメ出しの瞬間でした。

失敗を恐れて正解を求めるクセ

そう言えば、例えばお笑いでも正統派の漫才やタレントが好きで、奇想天外の発想や言動をする人はかなり苦手です。
自分のストライクゾーンがなかなか崩せずに、それぞれの持ち味の良さを理解するのにとても時間が掛ります。
11月から始めた「能力アップトレーニング」の課題提出があって、レポートを作成していた中に、「次のわけ(理由)を説明しなさい。」という設問がありました。(下段は私の回答)
(1)「ポチ、ポチ、おいで」と呼んだら猫が寄ってきた、そのわけ。
   ――猫の名前が「ポチ」。――
(2)点数の少ないぼくのほうが勝った、そのわけ。
  ――勝ち点を争うのではなく、ミスの点数の少ないほうが勝ち。――
(3)10000円より1000円がほしいという、そのわけ。
  ――自動販売機ですぐに使いたかったから。――
と、ここまでは順調に考えられたのですが、次の(4)、(5)問で考えあぐねてしまいました。
(4)新発売された特効薬は「ほしいという人には売らない」という、そのわけ。
(5)さとうがからくて、しおがあまい、そのわけ。
私なりに回答を考えてはみたのですが、どうも正解かどうか自信がなくて保留にしています。
12月の課題レポートはもっと難易度が高くて、正解が一つではなく、考え方によっていくつもありそうで厄介です。
子供のころは、決して上手ではないけれど思いつくままにイメージで絵も描けたし、勝手な歌を作っては口ずさんでいたように思いますが、高校の体育で創作ダンスの時間があって、5分か10分自由に振り付けて踊るテストのことを思い出しました。
最初の1分くらいは何かしら動いていたように思いますが、私は恥ずかしさもあって、その後はその場でずーっと立ち尽くしていたのを今でもはっきり覚えています。
「アパッチ」というあだ名の女の先生でしたが、随分と反抗的な扱いにくい生徒だったことでしょう。本当に申し訳ない限りです。
決して反抗したかったわけではなく、何事でも正確に上手にできなければ、身体が固くなって動かなくなってしまったのです。
失敗すること、間違った答えをすること…が恥ずかしくて、とても怖かったのです。
少しずつ人の目を気にすることから解放されてきたのではと思っていましたが、ありのままの自分で生きることは、本当に難しいことですね。
だからと言って諦めずに、見放さずに、ゆっくりと自分と向き合っていきたいと思っています。

(2020年12月13日 若杉)

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