学びと気づきの日々

氏神様のおみくじに思う

先週まで、各地で最も遅い「夏日」が記録更新されて昼間は汗ばむほどでしたが、ようやく気温も平年並みになり、色鮮やかな紅葉が楽しめるようになりました。
ベランダから見える階下の桜の紅葉はとても見応えがあって、つい見とれていたら、吹く風に木の葉がサラサラ揺れてまるで誇らしく拍手をしているかのようで、微笑ましくて思わず笑ってしまいました。
その桜の木の向こうに、氏神様である「丹生神社」のご神木で、市民の木にも指定されている立派な楠木がそびえて見えます。
私は毎朝その楠木を見ながら、お祈りをしたり、今日一日のスケジュールを考えたり、軽い運動をしています。
あそうそう、以前このブログで「氏神様とおみくじ」のことを書いたことがありましたが、今年は初詣で以来毎月お参りを続けています。
これまでのおみくじは、「吉」が6回、「末吉」が3回、9月には初めて見る「半吉」出たりしていたのですが、今月は何と思い掛けない「大吉」が出ました!
ここの神社のおみくじは、いろいろな種類の「吉」だけが置かれているのでは…とすら思っていたので、驚きました。

「第十三番 大吉」――このみくじにあたる人は、運勢強き生れにて、若き時苦労のむくいにて今は運勢心のまゝに開く、親に孝行せよ、これみな親の恩なり――。

ホントに単純ですが、これだけで何だか宇宙に肯定されたような思いになれて、ほっこり幸せを感じることができました。
これまでの戒めのことばも、のちに運勢開くということばも、考えてみればすべて有難いことなのに、「大吉」に大きく反応してしまうみずからの心に、まだまだ修行が足りないなぁと反省の思いが湧いてきました。
さて、師走の来月はどんなおみくじに出会えるのでしょうか?!楽しみです。

代価をいただくこと

物を買ったり、人からサービスを受けたり、学びを提供されたり…自分が何かを受ける立場の時は、相手から提示された代価をお支払いするのは当然だと自分で納得しているので抵抗はありませんが、逆に個人の方から代価をいただく側に立つと、いつもいろいろな思いに駆られてしまいます。
果たして代価に見合うサービスが提供できたのか、満足していただけたのか…と躊躇してしまうのです。
カウンセリングや整体、セッションの後にお代金を頂戴するとき、思わず「有難うございます。お預かりします。」と伝えてしまうことがよくあります。
決して無料やボランティアがいいと思っている訳ではないのですが、どこからか抵抗感が湧いてくるのです。
この思いは、一度しっかりと向き合う必要があると思っています。
そんな課題を強く意識し始めた時、心理学の勉強仲間から興味深い話を聞きました。
お友達で、「自分の身体で奉仕をします。」と掲げた方がいらっしゃったそうです。
例えば、子供の世話や、犬の散歩を引き受けて、一日千円か二千円で「私をレンタルして下さい。」と。無料だと依頼しにくいだろうから、出来るだけ安価で引き受けることに。
その期間、その時間、彼は真面目に誠実に役割を果たして、一所懸命に働かれました。
その後、彼がコーチの仕事を立ち上げて開設や事業に資金が必要になった時、以前千円で彼を雇ってくれた人達がこぞって出資に名乗りを上げて、今で言う「クラウドファンディング」が成り立って、短期間に200万円くらい集まったそうです。
投資してくださった方たちには、無料もしくは安価でコーチングセッションを提供されたとか。
この方は、コーチとしてコーチングセッションを売ったのではなくて、最初に一日千円で、人間性や信用を売ったからうまくいったのでは…という話をしてくれました。
ビジネスモデルが変わってきたようです。これからの時代、交換の代価は貨幣以上に「信用・信頼」が大きな意味を持つのだと、心にストンと落ちるお話でした。
「信用」とは、――確かなものと信じて受け入れること。それまでの行為・業績などから、信頼でると判断すること。また、世間が与えるそのような評価――とあります。
私は、人に喜んでいただきたい、良い評価が欲しいという思いがとても強く働き過ぎて、相手の方にどう思われたかが気になって、素直に代価を受け取れなかったのだと思います。
裏を返せば、損得勘定に縛られていたのは、私の意識でした。
私に足りなかったものは、信頼してもらえるように尽くしきる「誠意」だったのです。
やっぱり、「日常生活を誠実に生きる」ことをもっと心掛けて行こうと強く思わされました。

(2020年11月22日 若杉)

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