美しく生きるということ
「小さな村の物語イタリア」から
先週あるオンラインミーティングで話題に上った番組があります。
BS日テレの「小さな村の物語イタリア」です。
毎回イタリアの小さな村に住む、ひとりかふたりにスポットを当て、その暮らしや家族や友人たちとの関わりを丹念に描いている番組です。
発言したその方は番組を毎回楽しみに観るだけでなく、ふとした時に放送で紹介された人たちが遥か離れた国で今どのように生きているかを考えるとおっしゃっていました。
番組ホームページからは、この番組が「〝豊かに暮らす 美しく生きる〟とはどういうことなのか」と問い続け、伝統と文化を守りながら生きる人たちからその答えにつながるものを引き出そうとしていることが伝わってきます。
そしてその試みは少なくとも、ミーティングで発言されたその方や私には確かな影響を与えています。
オープニングでイタリア語のテーマ曲が流れ、村の風景が映し出されると、それだけでなぜか懐かしさに憧れが混じったような不思議な感覚にとらわれます。
さらに三上博史さんのナレーションも素晴らしい…。
一時間弱の時間、温かな何かに包まれ、人生について深く考えるひとときになっています。
もちろん人生にも人間にもさまざまな面があります。
番組にする以上、良いところを切り取りがちかもしれません。
そうしたことを差し引いてみても尚、生きることを問い直されるようなそんな時間なのです。
「点」が「線」になること
特に最近の放送では、何年か前に訪れたさまざまな人たちの「今」が対比して紹介されています。
伴侶を亡くした、離婚した、仕事が変わったなど、この期間その人にどのようなことが起こったのか…。
そして直近のコロナ禍でどのように過ごしているのか…。
それによって、過去の放送では「点」として存在したあるひとりの人生が、今に続く「線」に変わったように感じます。
「線」をとらえると、その人がより身近な存在になりますね。
世界では常に多くの災害や事故などが起こっています。
誰かが命を落としたとしてもそれが名前の知らない誰かだったら、私たちは「何人死亡」というようにその出来事を数字でしかとらえられません。
その人がどのような人生を生き、何を喜びにしていたのかというストーリーを知らないからです。
でも少しでもその人の生き方にふれたなら、死であっても名前のある死になります。
すると感情が立ち上がります。
この番組は、地球上のすべての人がそれぞれの人生のストーリーを生きている、その当たり前の事実を教えてくれる存在になっているのだと思いました。
もしよかったら一度観ていただきたいです。
(2021年7月4日 岩田)