本当に価値あるものは「絵空事」からしか生まれない

進歩を担ってきたのは「妄想」

先日BSで、イギリスを一周する旅の番組を観ました。
冒頭に出てきたのはナロウボート。
幅の狭い荷役船で、運河を航行します。
産業革命に付随する社会の変化の中で、荷物の運搬はそれまでの馬車から運河を通行する荷役船ナロウボードに主役の座を譲ったのだと知りました。(もっとも最初は動力のない船だったため、馬が曳いていたようですが)
やがてディーゼル機関や蒸気機関が曳き馬にとって代わりましたが、すでに競争が激しくなっていた鉄道輸送には対抗できず、貨物用のボートは20世紀半ばには絶滅したそうです。(ウィキペディアによると、現在は住居などに使われるナロウボートが約3万も残っているとか)
「たくさんのものをより速く一度に運びたい」という社会全体の願いに応えようとした18世紀の学者や技術者がナロウボートを生み出し、蒸気機関などの動力も生み出しました。
最初のアイデアを出した人はその実現をワクワクする想いとともに確信したかもしれませんが、その時代のほとんどの人にとっては完全な絵空事だったはずです。
「そんなことは実現できるはずがない」ぐらいにしかとらえられなかったでしょう。
はじめは理解を得られなくても、時代を動かしてきたのは常に誰かの妄想だったのだなぁと思いながら観ていました。

日本は「妄想」の地位が低い?

佐宗邦威(さそうくにたけ)氏の『直感と論理をつなぐ思考法』という本の中に、「日本は『妄想』の地位が低い国ではないだろうか」という記述があります。
一部引用します。

50歳すぎまで会社員をしていた人が、いきなり「私はこれから映画監督になって世間をアッと言わせたいんだ!」と言いはじめれば、面と向かってではないにしても、周囲の人たちは眉をひそめることだろう。なかには、陰で嘲笑する人もいるかもしれない。
 しかし、同じ人が「これは僕の単なる妄想だけど、いつか映画監督になって世間をアッと言わせたいんだ」と言えば、おそらくそのような事態は回避できる。「実現しようもないアイデア」としてのニュアンスがある「妄想」という単語は、日常会話におけるある種の「予防線」として機能しているのだ。子供が「宇宙飛行士になりたい」と言えば、「夢のある子だな」と評価されるが、ある程度の年齢になってからそうした夢を語ると、「いい年をした大人が、何を言っているんだ」という顔をされる。

『直感と論理をつなぐ思考法』 佐宗邦威著 より

確かに日本では荒唐無稽な夢を語る人は敬遠されたり、批判されることがあります。
が、佐宗氏が海外で出会った人たちは「妄想」を高く評価しているといいます。
それは経験的に「本当に価値あるものは、妄想からしか生まれない」と知っているからだとか。
むしろ、あえて現実からかけ離れたことを言おうと常に意識してさえいるようだと…。

#夢だけ持ったっていいでしょ

ここまで書いてきて、HELLO NEW DREAM. PROJECTを思い出しました。
昨年末で活動休止した嵐と企業がタッグを組んだプロジェクト。
「未来が見えにくい今こそ、夢をもつことを応援したい」という思いをもつ嵐と、その想いに賛同した企業13社がひとつになって始まったものです。
動画を観るとたくさんの人が自分の夢を言葉にしたメッセージを発信したことが伝わってきます。
「小さな夢だって、 大きすぎる夢だって、 何歳になったって。」
動画の説明欄の最後に書かれている言葉です。
社会や国を動かす妄想でなくても、自由に自分の夢を描くことから始めたいですね。
夢は妄想です。
妄想を目指して行動するのもたまにはいいんじゃないでしょうか。
そこから何が生まれてくるのか、楽しみながら新しい一年を過ごしていきませんか?

(2021年1月3日 岩田)

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