悠久からの死生観
平等院鳳凰堂は極楽往生への願い
連休明けの最初の土曜日、宇治を訪れました。
前に平等院の拝観に来てから15年ぐらい経つかもしれません。
改修を終えた鳳凰堂は、記憶の中にあったものより鮮やかな朱色の柱が印象的でした。
創建は1052年。藤原頼道が父道長の別荘を寺院に改めたものです。
極楽浄土の宮殿をイメージした鳳凰堂の内部は、極楽からの迎えの様子が壁面に描かれています。
(肉眼ではもう識別不可能な状態ですが)
権力の座を誇り、栄華を極めたとしても、いずれ直面する死に対して、その不安が拭われるような心の拠り所を求めたのでしょうか。
博物館でみた予想復元図は、鮮やかな色彩が来世への強い願望を表しているようでした。
メメント・モリ
最近ゲームの名前にもあるらしいですが、そのことではありません。
「死を思え」と訳されることが多いラテン語です。
私は「死ぬことはそれほど怖くない」と思っていましたし、人にもそう伝えたことがあります。
最近、そのことについて考えを新たにする機会がありました。
徳川家康は「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という言葉を遺しました。
私が無意識に抱えていた人生に対するイメージというのは、それに近いものでした。
さらに仏教的な無常観のようなものにもどこかで影響を受けていました。
「結局、人は死んでしまうのだから、努力をする意味があるのだろうか?」
というのが、ものごころついた頃からの私の問いでした。
何を楽しい・苦しいと感じるかは人それぞれです。
一般的に、生きていると楽しいこともある反面、苦しいことも少なくありません。
苦しいことに直面すると、どうしてもその苦しさから逃れたいという気持ちになります。
「死は怖くない」という私の言葉の裏側には、苦しく、無常な人生から解放された方が楽だという気持ちがあったことに気づきました。
私たちは、苦しさから逃げるという選択も、逃げないという選択もできる自由をもっています。
自分の気持ちに気づくと、かえって生きることへの新たな執着が生まれました。
もう少し自分の役割を果たすような生き方をしたいと…。
藤原頼道のように極楽浄土があると信じてはいませんが、いつ死が訪れても自分として納得がいくように生きたと思えるようでありたいと思ったのです。
平等院のあと、宇治上神社(うじがみじんじゃ)にお参りしました。
本殿は日本最古の神社建築で、古都京都の文化財として世界遺産になっています。
鳥居をくぐると、一気に静謐な空気に包まれます。
山を背にした簡素ながら存在感のある本殿と、周囲を取り巻く木々の青葉が目に入ると、悠久の歴史の重みが一気に胸に迫るような感覚を覚えました。
平等院の鎮守社として千年近くこの地で人々の生死を見守ってきたのでしょう。
自分という存在が、永遠の中の一部であることを実感しました。
ただ「自分」として生きている人生と、歴史を引き継ぎ、次世代に受け継ぐために生きる人生とはまた違うのだと、語り掛けられているような気がしました。
(2017年5月16日 岩田)