自然界にはバランスをとろうとする法則がある

身近なところにあるバランス

先日京都でちょっと贅沢なフレンチのランチをいただきました。
素材、調理、盛り付けがステキで、窓にうつる景色と共に堪能しつつ、そんな時間を持てることが何よりありがたいと感謝するひとときでした。
さてその日の夕食ですが、家族の分を準備する必要がなかった私が選んだのはカップ麺と作り置きの酢の物…。
私の中で働いた思考・感情・身体感覚を改めて振り返ってみます。
まず、「昼間出かけていたから、特に何かを作るのも面倒…」という感情に対して、身体が「お昼にちゃんとしたものを食べたから、ちょっとジャンクなものを食べたい」と同調し、それを自分に納得させるために「お昼に十分いただいたから簡単でいいよね」と思考が援護したような形です。
私たちは自分を納得させるために都合のいい理屈を引っ張ってくるのが得意ですよね。
手の込んだものを食べたら、簡単なもので食事をすませてもいい。
無意識にバランスをとろうとした結果です。
同じようなことが日常では頻繁に起こります。
無理して頑張ったら、その分ゆっくりしたくなる。
簡単にクリアできることが続くと、難しいことに挑戦したくなる、など。
少し極端に針がふれたら、逆方向に戻そうという力が働くのを身近なところで感じることができます。

新しい習慣をつくるために通過するアンバランス

先月のブログの中で、新しい習慣づくりに取り組んでいることを書きました。
今も試行錯誤を続けています。
それは人生の最期の瞬間に自分に満足したいと願い、習慣を変えることで少しでも自分を変えていきたいと思ったからです。
試行錯誤してみると、いろいろな発見があります。
まずは当たり前のことですが、試行錯誤は大事だということ。
何かをしないことには気づきもないので、体験は役に立ちます。
同時に、自分を変えることは簡単でないという現実も実感します。
何十年も生きていると、すでに私たちの中には一定のバランスが出来上がっています。
こんな自分ではダメだと否定して努力するというパターンもそのひとつで、私はこれを結構やってきました。
自己否定は思考の習慣で、決して好ましいものではありませんが、その思考によって生まれる感情、身体感覚はすでに慣れ親しんだもののため、イヤだけれど、よくわかっているもので、どこか安心するような感覚もあったりするのです。
それを抱え込んで苦しみながらも、同時にそのメリットも実感しているため、無意識レベルではなかなかそのバランスを手放すことができないものです。

バランスを変えようとすると戻そうとする力が働く

結局、これまでのバランスを無理やり変えようとすると無意識レベルの抵抗に合うことになります。
例えば、私にはなかなか実践できませんが、毎朝4時に起きて勉強することを決めた場合、それが過度に負担になると、とたんにやりたくないという感情に支配され、朝も眠気におそわれます。
思考も「こんなに眠いんじゃ、勉強なんかできないから、ちゃんと寝た方がいいんじゃないか」となって、結局決めたことを実行できなくなるのです。
無理やり極端なことをしてもうまくいかないのは、誰しも経験していることでしょう。
無理をしすぎず、無意識が抵抗しない程度に変化に向かう…。
理想的ですが、「適度に」がそもそも難しい…。
それもまた、どんなときにバランスがどう崩れるのかを体験しながら、知っていくしかありません。
まあ、いろいろチャレンジするのは楽しいのですが…。
みなさんは、どんなことにチャレンジしたいと思われますか?

(2020年11月19日 岩田)

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