言葉の力

習慣で成り立っている私たち

本当に私たちの生活は習慣で成り立っています。
習慣とは特に意識せずともできることであり、逆に意識しないとやめられないことでもあります。
ちょっと分かりにくい言い方になりました。
朝歯を磨くのも、ふと手元のスマホを見てアプリのアイコンをタップするのも、習慣だということです。
一方で一日に何度も見ているアプリを見ないようにするのは、相当意識しないとできないことです。
1回や2回できたとしても、気を抜くとすぐに忘れ、気づいたらアプリの情報を読み込んでいたということになります。
それだけ習慣化しているからこそ、私たちはいちいち行動を意識せずに暮らせるわけです。

普段しないことを意識的にするようにする時というのは結構なエネルギーを使うので、無意識レベルで行動できるということはエネルギーの消耗を防ぐことができるというメリットがあります。
このようなことを過去にも書きました。
1年半ほど前に習慣化に取り組み始めてから、自分のことをよく観察するようになったおかげで、こうした自動的なシステムのメリットもデメリットも体感的に理解を深めてきた気がします。

話すことも習慣になっていた…

自分の話すことにもあまり自信がなかった私ですが、人生の多くの時間をなぜか人前に出て話すという経験を積むことになりました。
不思議な巡りあわせですし、それも私のテーマだと受け取っています。
おかげで今は、話すこと自体にはほとんど抵抗がなくなりました。
人前でも落ち着いて話せることが多いし、初対面の人と話すのも楽しめています。
私の中では話すことが習慣化されたということになりますね。
それは良かったのですが、最近気になることが出てました。
何となく言葉が上滑りしているのではないかという感覚を覚えることがたびたびあり、「自分が発している言葉は、本当に自分が伝えたいことなのだろうか?」と自問するようになったことです。
滑らかに話すことができていたとしても、それは無意識の習慣から出ている言葉であり、本当にその場で自分の内側から真摯に紡いだ言葉でない、というような感じです。
「慣れは恐ろしい」というような話を聞きますが、自動的にできてしまうが故にしっかりと意識を向け、必要な選択をすることができないからでしょう。
心から伝えたいと望んでいることと言葉を一致させるということはどういうことなのか、課題をもらったような気がしました。
この問いはしばらく大事にするつもりですが、先日少しだけ内側の思いと言葉が一致した瞬間を体験することができました。
何を話そうかと意識したわけではないのですが、質問をしてくださった方に真剣にお答えしようとした時にスルスルと言葉が出てきたのです。
一瞬でもそうした体験をさせていただいたことは、今後への励みになりました。
言葉には良くも悪くも大きな力があります。
どのような心の状態で、どのようなエネルギーをのせて言葉を発するのか、誰にとっても大事なテーマなのかもしれません。
できれば言葉の良い力が発揮されるよう、心がけたいものですね。

(2022年2月27日 岩田)

関連記事

アーカイブ

ページ上部へ戻る