日常生活を誠実に生きること
緊急事態宣言の解除
4月7日に7都府県で発令され、16日には全国に対象地域が拡大された、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う政府からの「緊急事態宣言」。
それ以来、マスク・手洗い・消毒の慣行、三蜜を避けて外出自粛の生活を余儀なくされていましたが、いよいよ5月14日に新規感染者数が大幅に減少した39県が、21日には近畿3府県が解除され、更に、明日25日には継続中の5都道県も全面解除する方向で最終調整がなされています。
休業や自粛制限が要請されていた業種・お店にとっては、営業再開が許可された安堵感と共に、今後の成り行きに不安感も強く抱いていらっしゃることでしょう。
制限は安心安全の場でもある
制限やルールに従うことは不自由ではあるけれど、ある意味で護られている場でもあります。
今回の自粛生活では、「仕事が無い」とか、「~できない」ということへの言い訳にもなり、怠惰な生活をしていても誰からも責められないし、自分自身も何もしない罪意識から逃れることができます。
長年受講しているセミナーで、「自由に不自由になる」ことの大切さを教わりました。
少し分かりにくい表現ですが、限度や枠、制限・規則は、他者から押し付けられると不快で不自由に感じます。
ですが、状況を自ら判断して、自分の意思で敢えて制限やルールを選択した中で行動すると、思いがけずその制限を活かしたいろいろなアイデアが浮かんできたりして、結構自由に振る舞えるようです。
規則や制限に抵抗するだけでなく、与えられた条件や状況の中で智慧を使うと、自分の中に勝手に作り出していた制限や枠が外れて、成長に繋がるきっかけになるかもしれません。
また、今まで当たり前のように生活していて、その価値や素晴らしさに気づかずにいたことに改めて感謝する良い機会にもなります。
2か月振りの家族との再会
自粛生活までは、週に何度となく当たり前に行き来していた娘や孫達。
私達への感染を懸念して、律儀なほどに直接会うことは避けられ、時折送られてくる動画や写真、ラインの電話などで、元気な様子に安堵する日々でしたが…。今日、2か月ぶりにやっと解禁!
車で30分くらいのところに、娘家族と共同で借りている「畑」があります。
私は今まで数えるくらいしか行ったことが無かったのですが、今日は特別。
車から見る緑の景色。風の香り。行きかう人々。何でもないことなのに、すべてが新鮮に感じられます。認識してはいなかったけれど、私の心はこんなにも閉ざされていたなんて。
集合時間の前に、二か所の農家の人達が経営している野菜売り場で、新鮮な野菜をたくさん仕入れました。
売り手の皆さんは、コロナ対策の工夫しながら生き生きと働いていらっしゃいました。
今日のメインは、イチゴ狩り。せっせと世話に明け暮れる夫以外、娘夫婦、孫3人、そして私。
みんなが堪能するくらい熟れた甘いイチゴを食べつくしました。
今週食べるだけの玉ネギと、えんどう豆、スナップえんどう、きぬさや…の豆類の収穫の後、持参したおにぎりでお昼ご飯。仕上げにアイスを食べて、その後公園に足を延ばす娘家族と別れを告げて、帰路に着きました。
直接会えなかったわずかの期間に、それぞれ成長している孫達。普通の日常生活の素晴らしさ、有難さをしみじみと味わうことができました。
日常生活を誠実に生きる
収束に向かっているコロナの感染状況ではありますが、第二波、第三波の到来を懸念して、気の緩みを警戒する声も多くあります。
時代が、環境が全体に願っている流れ、更に各自に願われている課題…、これから何が起こって来るかは分かりませんが、教えられたことによると、すべては必然、すべてが大切。
そのように肯定的に受け止めて、それぞれの日常生活を最善に生きる努力をしていければ…と、改めて思わされました。
それがとても難しいことは誰もが知っています。
自分で定めたスケジュール、自分で定めた日課でありながら、いざ実行するとなると…。
先週の岩田さんのブログ「時間どろぼう」での提言が、私にも痛い程共感をもたらします。
本当に、自分で自分を管理することが一番難しいのかもしれません。
自分との約束は、いとも簡単に言い訳と共に何も無かったかの如く破ってしまいます。
でも、あまりに深刻に考え過ぎるのも良くないかもしれません。
出来ないけれども、それでもやり続けようとする意思があれば、ベクトルがきちんと理想に向いてさえいれば、細胞の一つ分くらいは成長に向かっているのかも。
全否定は止めにして、甘いのは承知の上で、前に進もうという意思の存在に免じて、ボチボチ進むのも自分に許すことにします。
(2020年5月24日 若杉)