シンパシーとエンパシー

多様性の時代に必要とされる能力とは?

最近読んだ本で興味深かったのが、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』。

ご参考までにアマゾンサイトへのリンクになります。

アイルランド人の父と日本人の母を持つ11歳の息子が、イギリスの公立中学校での体験を母親が綴ったものです。
多様性の時代といわれてきた近年ですが、日本は生活レベルでそれを実感している人は少ないのではないかと、この本を読んで思いました。
何しろ彼が入った中学校は、著者いわく殺伐とした英国社会を反映するリアルな学校。
それまで息子が通っていた上品なミドルクラスのカトリック小学校とは環境が一転したことは明らか。
そこで起こることはぜひ本で読んでもらいたいのですが、私が一番興味をひかれたのは、シティズンシップ・エデュケーション(公民教育とか政治教育のような意味らしい)の授業のことです。
この教育の目的は「社会において充実した積極的な役割を果たす準備をするための知識とスキル、理解を生徒たちに提供することを助ける」で、「政治や社会の問題を批評的に探究し、エビデンスを見きわめ、ディベートし、根拠ある主張を行うための知識を生徒たちに授ける授業でなくてはならない」(本文より転載)なのだそうです。
実際に中学校に入ったばかりの子どもがどれだけついていけるかどうかは別として、理念と目標には感心してしまいました。
階級や人種、経済力などさまざまな格差が顕在化している中で、事実を観る目や、整理された自己主張をする力を養う。
そしてそれは社会における役割を担うため…。
日本の中学校の状況はよくわかりませんが、私の乏しい知識ではまだ日本はそうした多様性に対して準備しているような印象はありません。
これからなのでしょうか?知っている方は教えてほしいものです。

エンパシーは能力

で、著者の息子はこのシティズンシップ・エデュケーションという科目が得意とか。
期末試験の最初の問題が『エンパシーとは何か』だったと書かれています。
エンパシー(empathy)は一般に「共感」「感情移入」などと訳されます。
似たような言葉にシンパシー(sympathy)のがあります。こちらは「同情」(共にいるという感情をもっていること)になりますが、なんとなく境目がわかりにくいですね。
本の中ではオックスフォード英英辞典とケンブリッジ英英辞典のサイトの引用からその意味が紹介されていました。
重要だと思うので、転載させてもらっています。

「sympathyシンパシー」(オクスフォード英英辞典)
1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと
2.ある考え、理念、組織などへの指示や同意を示す行為
3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解
「empathyエンパシー」
他人の感情や経験などを理解する能力(オクスフォード英英辞典)
自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力(ケンブリッジ英英辞典)

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』より

シンパシーは主に感情の働きが大きいような印象です。
一方で、エンパシーは能力なんですね。
能力はどこまでも高めることができるものですし、そう信じたい。
著者の息子が試験の問題に対して出した答えは「他人の靴を履くこと」だったそうです。
一般的には立場が違えば、考え方の違いも大きくなりがちです。
が、もしエンパシーによって相手はどう考えるのかを想像するようになるなら、やがてシンパシーも生まれるのではないかと思います。
エンパシーとシンパシー、似て非なる言葉ですが、どちらもまた大切なものですね。

(2020年5月3日 岩田)

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