氏神(うじがみ)様へのお詣り
月に一度のお詣りとおみくじ
夫の定年を前に、今のマンションに引っ越してきて9年目になります。
歩いて2分くらいのところに、「高羽丹生(にぶ)神社」という小さな神社があります。
須佐男命(スサノオノミコト)を祭っている氏神様で、その昔、鍛冶の守護神として広大な面積を誇り、滝の奥の山中に祭られていたのが現在の地に移築されました。
今は狭い敷地ですが、「大日本史神祈志」に記載されている、由緒正しき神社のようです。
私は大学時代に「古美術研究クラブ」に所属して、建築・庭園・仏像・絵画などを鑑賞するために、有名無名に関わらず、神社や寺院を訪れることが大好きでした。
ちなみに兵庫県には3800社以上の神社があり、有名なところでは、生田神社、廣田神社、湊川神社などが挙げられます。
氏神様とは、同じ地域に住む人々が共同で祀る神道の神様のことで、住民や地域を守ってくださる神様に、日ごろの感謝を伝えにお詣りをする習わしですが、私はこの氏神様に昨年までは、家族そろっての初詣と子どもの催し以外は訪れることがありませんでした。
ですが、今年はコロナ感染の収束祈願も込めて、1月から毎月一度お詣りをすることにしています。
本殿と稲荷神社・天照皇大神社、そして「市民の木」に指定されている樹齢500年余りの楠木のご神木にお詣りをした後、小さな巻紙のおみくじを買うことを楽しみにしています。
1月から「吉」、2月「末吉」、3月末吉」、4月「吉」、5月「吉」…と、可もなく不可もなくという結果ですが、丁寧に読んだ後、境内に結ばずに持ち帰り記念としてスケジュール帳に貼って、時折眺めています。
人智を越えた未曽有の出来事に対しては、誰しも何らかの天からのメッセージを頼みたくなるものです。あくまでも「人事を尽くして、天命を待つ」ことが大切ですが…。
残念ながら、まだ、天の声は直接には届いておりません。
不安・恐怖・マイナス思考を一掃する
毎朝ベランダで小一時間、瞑想や運動をする時間をもっているのですが、日によっていろいろな思いが湧いてきます。
この世界規模・地球規模で起こった新型コロナウイルス感染が終息した後、世界は、人間関係は一体どう変化しているのでしょうか?
今までの常識や生活様式、経済・社会の在り方も、根底から一度崩壊されたものは、もう元には戻ることが出来ません。
次は、新しい世界の創造に取り掛かるしか道はありません。
変わることが怖いとか、好き嫌いで選択できることでもなく、人類全体で試行錯誤しながらも、猛スピードで智慧を出し合って乗り越えていくことが願われます。
緊急事態宣言で、自粛生活・隠遁生活を1か月以上過ごしてきて、身体も頭も心も鈍ってきている状況の中で、果たして私に何ができるのだろう…、社会に取り残されて役立たずになってしまうのではないか…という悲しい思いに駆られます。
またまた、不安・恐怖、マイナスの思いにすぐに取りつかれます。
そんな時、エイヤーっとスーパーヒーローの私が現れます。
もう甘えのポーズは止めよう――。
すべては意識次第で、エネルギーを一瞬で変えることができる――と。
時間があると、自分の内部でいろいろなパーソナリティが現れて、葛藤や対話を始めます。
ただの暇つぶしにならないように、気をつけながらも、最近はこのやりとりを結構気に入って続けています。
「母の日」の花束
今日5月10日は、「母の日」。
日頃の母の苦労をねぎらい、母への感謝を表す日。
今年は、日本花き振興議会が提案して、全国の緊急事態宣言での混雑や配達の集中を防ぐ意味で、「母の月」とすることが歓迎されているとか。
私は、感染防止のために往来を自粛している関係で、「今年の母の日はスルーして…」と少し前から娘に伝えていました。
が、お昼ごろに玄関の扉越しに孫の声がしました。
開けてみると娘と孫が二人。扉の取ってに花束の袋を括り付けているところでした。
優しいピンク色のカーネーションと、大好きな紫のトルコ桔梗をあしらった花束が、ニコニコ笑顔と共に届けられました。
今年は予期せぬプレゼントだったので、一層嬉しさが増しました。
亡き母の写真の横に花束を飾って、親子二代の「母の日」を一緒に感謝しました。
季節は、もう初夏の兆し。部屋には扇風機も出しながら、まだこたつは片付けていません。
二週間前のブログで書いた、「私の浄化作用」を思い起こして、さあ断捨離を本格的に始めなければ…。
(2020年5月10日 若杉)