『運を支配する』

終わりというのは新しい始まり

昨年読んだ本の中で心に残ったベスト10に入るのが20年間無敗の雀鬼・桜井章一氏と、サイバーエージェント社長・藤田晋氏の共著です。
特に印象的だったのは桜井氏の下の言葉。

私はいつも、すべてが始まりと思うようにしている。
何か楽しいことやいいことが終わったときに、気持ちを引きずりたくないのだ。
何かが終わったら、チャラだと考えるのである。終わってしまえば、それまでのプラスもマイナスもすべてゼロに戻るという感覚なのだ。
終わりをすべて始まりだと思えば、いつも新鮮な気持ちでいることができる。
終わりに囚われすぎると、それまでいい流れできていたものでも悪い方向に変わってしまう。
終わりの中には、強い落胆や悲しみを伴うものもあるだろう。
会社を辞めたとか、親しい人を失ってしまったとか、辛い感情を引きずらざるをえない終わりもたくさんある。
だが、どんな辛い終わりにも、始まりという希望の芽がどこかに顔を出しているものだ。
それを見つけることはときにひどく困難なことかもしれないが、必ずどこかにあると信じることはとても大事である。
そんな始まりを見つけることができれば心は救われるし、また流れをいい方向へ変えていくことができるのである。

『運を支配する』より桜井章一氏の文章

終わりの形

上記の言葉、つくづく名言だと思いました。
とかく私たちは楽しいことは続いてほしいと願うし、一生懸命取り組んだことが終わってしまうことに寂しさを感じがちです。
そう、終わりに囚われます。
どちらもゼロにして、すべてを始まりととらえる…なんて、なかなか真似できないことですね。
終わりには2種類の形があります。
「自らの意思で選んだ終わり」と、「自らの意思と無関係にやってくる終わり」です。
みなさんは日常で無意識にどちらを選んでいるでしょうか?
「自ら終わらせる」の方は自分で選べたという満足感がある一方で、果たしてその選択で良かったのだろうかと悩むこともありそうです。
「やってくる終わり」はもう不可抗力で、諦めるしかないという点では終わりについての後悔は生まれにくいかもしれません。
ただ人間は「突然」に弱いもの。
一旦はその動揺に耐えなくてはなりません。
いずれにしても「終わり」には大きなインパクトがあるものです。

それぞれのテーマ

それでも人によってどちらがラクか、気づいたらどちらになっているかという個性は出てきます。
私はどちらかというと「やってくる終わり」の方が歓迎です。
最近流れにまかせて生きているので、「あ~、そうきたか」という感じで受け入れやすいのです。
ほんと、どこまでも受け身です…。
ただし、さすがにそれだけではだめなことはわかっています。
生きていると自ら流れを作らなくてはならない責任が生まるからです。
今年のテーマは「取捨選択」にしていますが、捨てることは終わらせること。
その終わりとどう向き合っていくのかが大きな課題です。
まずは小さなところから、です。
それこそ、保険や宅配飲料、近所の本屋さんに定期的に届けてもらっている雑誌、年賀状や習い事など、ささいなことから終わりの形を意識しつつ、たくさんの「始まり」を受け入れていきたいと思っています。

みなさんは今年の「終わり」と「始まり」、どのようにしたいですか?

(2020年1月19日 岩田)

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