「人生とは…?」
苦しみや痛みを避け、「快」を求める私たち
「人間万事塞翁が馬」(にんげん ばんじ さいおうがうま)という中国の故事があります。
人生における幸不幸は予測しがたく、幸せが不幸に、また不幸が幸せにいつ転じるか分からない。
だから、安易に喜んだり悲しんだりすべきではないという例えです。
同じような言葉に、「禍福は糾える(あざなえる)縄の如し」「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」というものがあります。
出来事自体に良い悪いがあるのではなく、受け止める私たちのとらえ方次第で、幸不幸が決定されるということですが、冷静に考えるとその通りで、反論の余地はありません。
が、私たちは苦労や痛みはできるだけ避けて、「快楽」の方を求めてしまいます。つい苦痛を恐れるあまり、多かれ少なかれ問題を避け、そのうちに問題が消えてなくなるかもしれないとの淡い期待を抱いて、決断することを長引かせてしまいがちです。
古典的名著との出合い
そんなことを考えている中、最近、M・スコット・ペック博士の『愛すること 生きること』という本に出会いました。
この本は、「ニューヨークタイムズ」ベストセラーリストに13年連続ランクインした古典的名著で、アメリカでは数百万部売れています。
本を手にして、まず冒頭に書かれていた文章に衝撃を受けました。
「人生は困難なものである。これは偉大な真実、もっとも偉大な真実のひとつである。」と言い切られていたからです。
更に、「人生を困難にするのは、問題に直面しそれを解決する過程が苦しいことである。
しかし、問題に直面し解決する全課程にこそ人生の意味がある。」と書かれています。
苦しみの必然性、その価値を理解して、苦しみを引き受けながら学び成長していくことの大切さが切々と説かれています。
不意に、30年前の出来事が思い起されました。
自分の力ではどうしようもない(と思い込んでいた)人間関係に追い詰められて、逃げ場を失い、夜も眠れず苦しみぬいた経験でした。
大切な友人との関わりがあったので、無視も出来ず、かと言って誰にも相談できずに、ただただ恐怖に怯える日々を悶々と、かなり長い期間(と、私にはそう思われました)を過ごしていました。
三度の脳梗塞につながる体調の悪化を招く要因ともなったほどです。
責任を持つとか逃げずにいたというより、委縮して逃げられなかったというのが本音ですが、恐怖、怒り、憎しみ…という思いに、大切だった友人への思い(愛と呼んでいいのかも…)が時が経つにつれて、勝るようになりました。
その割合が49:51になった頃から、私にとって成長のための必然的な出来事だったんだと徐々に受け止められるようになりました。
今ではこのような抽象的な表現しかできずに申し訳ありません。
振り返って、この苦しい経験を通して、問題を徹底的に受け止めて、苦しみを引き受けることで成長していくことの大切さを学んだように思います。
新しいセミナーのテーマ
今回、9月から新しいセミナーの開催に踏み切りましたが、その際のテーマを考える土台にもつながっていることに気づきます。
普段はなかなか意識に上ることのない、苦しみの必然性、そしてその価値、更に問題に直面してそれに伴う苦しみを経験することの大切さを、それぞれの人生体験を振り返りながら、一緒に学んでいければと思っています。
その手立てが
①「楽しみはあとでゆっくりと」
②「責任を引き受ける姿勢」
③「真実に忠実であること」
④「バランスをとる生き方」
という各テーマです。
単純なこれらの手段について、ペック博士の言う「手段を用いる意思――それを『愛』だと考えている――」ことを、じっくりと深めていければと考えています。
あなたにとって、「人生とは…」どのようにお考えですか?
(2019年7月14日 若杉)
「私」を生きる心理学セミナー のページもご覧ください。