「リーダーシップ」は身近なところから…

「歴史上の人で素晴らしいリーダーだと思う人は誰ですか?」

あなたなら、どう答えますか?
私が思い浮かべたのは、まず、ローマ帝国のマルクス・アウレリウス(本当のところはよく知りませんが、歴史の本には五賢帝の一人で、哲学者でもあると書かれていて、なんとなく印象に残っています)、マリア・テレジア(ハプスブルク帝国の女帝で、かのマリー・アントワネットの母。政治手腕を発揮しつつ、家庭では16人も子供を産んだ、私にとってはスーパー・ウーマン)、あとは、インド独立運動のガンジーやマザー・テレサも素晴らしいリーダーですね。ついでに山岡荘八氏の小説の影響で徳川家康もリーダーとして優れていたと思っています。
リーダーというと、こんな風に常人を超えた誰かを想像しがちです。
特に歴史上の、なんて言われると何世紀にひとり出てくるかどうかという人を思い浮かべてしまいます。
歴史上でなくても、世界的大企業のリーダーとか、まず自分など足元にも及ばない人、簡単に言えば、完璧に近いような人を想像しがちです。
が、そもそもリーダーって完璧な人なんでしょうか?
今回こんなテーマで書いているのは、最近「リーダーシップとは何だろう?」という問いを温めているからです。

リーダーは完璧でない方がいいかもしれない

最近読んだ本が印象的だったので、メルマガでも紹介しました。
クリステン・ハディードという人が学生時代に1本のジーンズを買うために始めた清掃ビジネスの会社、ステューデント・メイドの物語です。

クリステンは社長として、まずリーダーという位置には立っていましたが、名実共にリーダーになるためには幾多の失敗を経なくてはなりませんでした。
最初の失敗はザ・45と名づけられました。
会社の初期に60人の学生のうち、45人が同時辞めると言い出した事件です。
その時彼女は、リーダーシップとはエアコンの利いたクラブハウスでふんぞり返って座っていることではないという教訓を学んだのです。
60人の前で、自分の未熟さ、弱さをさらけ出し、助けを求めたことで、一度は辞めると言った学生の協力を得ることができました。
成功の陰には必ず失敗もあるはずですが、多くの場合、その失敗をさらけだすことに抵抗を覚えます。
しかし、リーダーができないことを伝えたら、メンバーは自分ができることを探すようになり、自らリーダーの素養を身につけていきます。
そうやってステューデント・メイドの目標は、雇った学生が会社に加わったときより優れたリーダーになって巣立っていくことになりました。
クリステンの体験した失敗の数々は、彼女のリーダーシップを磨くとともに、他の人たちをリーダーにすることに貢献しました。
どんなにすばらしいと言われる人も最初から素晴らしいリーダーではない。
当たり前のことですが、素晴らしい姿ばかりを見ていると、かつてどうだったかを想像することができません。
そんな意味で自らのリーダーシップの旅を記したこの本は貴重だと思います。

リーダーシップは誰もがどこかで発揮できるもののはず

リーダーシップという言葉のイメージから、自分には関係ないと思いがちな人は多いでしょう。
でも、家庭において母親が発揮できるリーダーシップだってあるはずです。
また、友人同士で共有する時間を楽しいものにするために、無意識にリーダーシップを発揮している人のことを思い出すこともできます。
「リーダーとは結果としてなるもの」と誰かが言っていました。
リーダーになろうというよりも、自分がその場でどのような行動をとるのかという選択の連続の中で、結果的にリーダーになっていくのだと思います。
「リーダーシップとは何か?」という問いにまだはっきりとした答えは出ませんが、日常の中のさまざまな場面で、自らの立ち位置をふり返りながら、リーダーシップを考えたいと思っています。

(2019年6月2日 岩田)

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