苦手なことにチャレンジすることが、意思の強化につながる――。

「楽になる」への抵抗

以前にこのブログでも書いたことがあるかと思いますが、私は、会話の中で、「~すると楽になる」「こう考えたらラク」と言われる言葉に、すんなりと受け入れがたいザワツキを覚えます。何故、違和感を感じるのだろうか…と、最近特に気になっていました。
楽になるためという動機で物事を行うことに、安直さを感じてしまうのです。「悩んだり考え抜いたりして、試行錯誤して努力を重ねた結果、気づきが生まれる」というストーリーが自分の中にあります。
目的が「楽になること」でいいのか…と、引っかかるのです。
では、「楽になりたくないのか」というと、全くそうではありません。
凝り固まった身体を整体でほぐして、楽になってもらおうとするし、カウンセリングでも、視野が広がったり気づきがもたらされたりして、「楽になりました」と言われるとホッとします。
振り返って、私はどれだけ苦労して努力して、何かを勝ち得てきた経験があるのだろうか?
親子・夫婦・兄姉・嫁姑…、家族関係でも、職場での人間関係でも大きな問題はなく、裕福ではないけれど経済学的にも困窮したこともありません。
いくつかトラブルで悩んだことは勿論ありますが、助けてくれる人たちが周りに居たし、尊敬する「師」にも恵まれています。
私には特に天賦の才能もなく、「努力型」の人間だとずっと思って来ましたが、あまり苦労もなく、コツコツ努力してきたわけでもないなぁと、愕然としました。
むしろ、環境や人間関係に恵まれ、リソース(資源)をいっぱい与えられてきたことに、改めて感謝の思いが湧いてきました。
先日、コーチングのセッションで、上記のようなテーマで掘り下げて行ったところ、ガイドの方から、「自分とは真反対のことに、『憧れ』があるのでは…」と示唆があり、ハッとしました。
苦労・努力・課題に向かってひたすら乗り越える…ということに、強い「憧れ」があって、当たり前のように「楽を求める」ことに、嫌悪感さえ抱いていたことに気づきました。
どこかで、安直な自分に、「罪悪感」があるのかもしれません。
最近受講したセミナーの中で、『心』と『魂』はどう違うのか?――という問いがなされました。
「心」コロコロ、いろんな気持ちが揺れ動きます。
一方「魂」は、深層にある普遍的な愛。
いつもいつも意識はなかなかできませんが、損得や自己中心的な動機から、普遍的な、「魂」の発動する方向へと、意識を向けていければ…と思いました。
「楽になる」ということも、自分だけが楽になるという、「自分のため」というニュアンスが強く感じられると、そこに何らかの違和感を感じてしまったように思います。
より広く、誰かのために、世の中のために…という意味合いであれば、おおいに「楽になる」ことを目指して行きたいと思います。
「楽になること」も「自由になること」も、「何の為に」という問いが常に大切だと思いました。
今年も、苦手な「ブログ」に挑戦して参ります。
どうぞ宜しくお願い致します。

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