間違ったことを言ったら訂正したい心理

それは真面目?

「ルーブルは、2区にあるんじゃないかな~」
昨日友人とそんな会話をしました。
何の話かというとパリの行政区の話。
パリは20の区が中心から右回りにエスカルゴのように並んでいます。
友人とルーブルの話をしたとき、1区か2区か確かでないものの、2区かなぁと答えたわけですが、帰って調べてみると1区にあることが判明。
今日になって、「ルーブルは1区だった…」と訂正しました。
すると彼女から返ってきたメッセージは「真面目!かわいい!」。
だいぶ年下ですが、まず「かわいい」は褒め言葉と気持ちよく受け取りました。
で、真面目とは…?
「間違ったことを言ってしまったら誰でも訂正したくなるのでは?」と思いましたけど、どうも、彼女ならそんな風にすぐに訂正のメールを送ることはしないらしい…。
やっぱりものごとのとらえ方は人それぞれ…。
ほんとに面白いです。

間違えたい自分

「訂正しないと気が済まない」というのは、「正しいことが重要」という強い価値観を私がもっているからです。
だから日ごろから、よく知らないことをあたかもすべて知っているかのように言う人には、つい疑いの目を向けてしまいます。
自分が何か言うときも、間違ったことを話していないか気になります。
実際に誤りの情報を送ったことに気づくと、冒頭のようにわざわざ訂正したくなるのです。
確かに正しいことは大事ですが、過剰なのも考えもの…。
全く間違わない人なんていないはずです。
人の誤りも許容範囲なら大らかに受け入れられた方が、いちいち間違いに反応しなくなる分、心も穏やかになります。
それに関連して、最近気づいたことがあります。
日ごろから「正しい=間違わない」ことを重要視している私が、ふとした時に、人から「エッ?そんなところもあるの?」と思われるような勘違いをするのです。
この間は買ったものをエコバッグの中の紙袋に入れたのを忘れました。
エコバッグをちょっと覗いたら品物がなかったので置き忘れたと勘違いしたのです。
「あ~、せっかく買ったのに…。もう戻ってこないな」とがっかりして歩いていたら、ふと紙袋の中に入れたことを思い出しました。
結局置き忘れたわけではなく、私の記憶違い…。
そんなことが私の日常には珍しくありません。
改めて「なぜなんだろう?」という疑問が湧きました。
直感的に「私は間違えたいんだ!」という言葉が浮かびました。
かなり腑に落ちて、「あ~、そうだったんだ」となんだかスッキリしました。
あまりに「正しさ」を大事にしていて、正しくあろうとしている分、間違ったり、失敗したりする自分がだいぶ抑圧されていたのです。
間違いや失敗はイヤなものですが、そこから学ぶことができます。
正しい言動ばかりを心がけたなら失敗は少なくなる反面、学びはありません。
私の無意識は、過剰な「正しさ」の呪縛から私を解放させるために、わざと時々小さな失敗をさせてくれているのではないか…、そんな気がしました。

(2018年11月25日 岩田)

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