天才たちの日課

好きだから、やらずにはいられないこと

今日はオンラインでの『ストア派哲学入門』読書会でした。
7月部分が対象でしたが、その中に「ささやかな技を愛する」という項目がありました。
仕事でもないのに舞台に立ち続けるコメディアンに、なぜそうするのかを訊けば、決まって同じような答えが返ってくるといいます。
それは「私はこれが得意だから。大好きだから。… やらずにいられないから」
しなくてはいけないことではなく、そうすることが生き甲斐なのです。
さて、私たちにも同じようなことがあるかと問われたらどうでしょうか?
私自身で思い当たるのは、「人間を理解したい」という興味が尽きないということです。
コーチングに喜びを感じるのも、表面的な日常会話より深い対話ができることによって、その人自身をより理解できることがあるからです。
さらには、ひとりひとりとのそうした対話の積み重ねによって、自分なりに人間という存在への理解がわずかでも前進することを実感できるからでもあります。
なぜ自分がそうなのか、理由はわかりません。
同じように誰にもそうした対象があるのではないでしょうか?
自然界の生き物であったり、何かしらの芸術的なことであったり、ビジネスを育てることや、政治や経済のことを考えることであったり、と、無意識に関心を寄せ、それに時間を費やしているということを発見できたら、多分それがあなたにとって大事なのでしょう。

クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々

私にとっては「人間」が興味の中心だということは先ほど書いた通りですが、その興味に新鮮な角度から応えてくれる本に最近出合いました。
メイソン・カリー著『天才たちの日課』です。
サブタイトルは「クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々」。
英語のサブタイトル ”How Artists Work” より中身を的確に伝えてくれるような言葉だなと思います。
著者の言葉によるとこの本は

偉人たちは最高の仕事をするために、毎日どう時間をやりくりしていたのか、創造性を高め生産性をあげるために、どんなスケジュールを組んでいたのか、ということだ。彼らの日常のごく平凡な事柄 ― 何時に寝て何時に食事し、いつ仕事をしていつ頭を悩ませていたか ― を書くことによって、その性格や生涯について新たな視点を提供し、習慣の奴隷としての姿を、小さなおもしろい絵に描くのが目的といっていい。

メイソン・カリー『天才たちの日課』より

そう、確かにこの本を読むと私たちが悩んでいるような問題は、偉人たちも同じように悩んでいたことがわかります。
ある人は勤勉にたゆみなく仕事を進めるという日々を送りましたが、ある人は才能に恵まれながらも不安にさいなまれる日々を過ごしました。
先の『ストア派哲学入門』にも、ローマ皇帝、マルクス・アウレリウスが不眠症で、毎朝起きることがつらく、自分が生まれてきた目的を自問して自分を励まし、やっと寝床から出ることができたと書かれていました。
ストイックの権化のような人にもそのような側面があると知ると、なんだか親しみを感じます。
私たちの人生はそれこそ千差万別で、人と比べようがないものではありますが、誰もが多かれ少なかれ、さまざまな誘惑にさらされ、その中で選択を迫られています。
当たり前ですが、偉大な業績を残した人も完璧ではないのです。
軽やかに読める161人のエピソードは、著者が望むように私たちへの勇気づけになっていると感じました。

(2022年7月3日 岩田)

関連記事

アーカイブ

ページ上部へ戻る