丙午(ひのえうま)の年初め

「世界」とはどんな存在?

少し四柱推命をしていたこともあり、毎年の干支には関心があります。
今年は丙午。
丙も午も陰陽でいえば、どちらも陽の「火」を表します。
この「火」からは、エネルギーの大きさがイメージされます。
流れも速く、古来よりこの年は決断や行動が求められやすいとか。
ただ、流れはここ数年加速の一途をたどっているように感じますね。
そして世界はますます混乱の渦の中に入っていっているような気がします。
この流れは一体どこに向かっているのでしょう?
なんて、なんだか他人事のように問いかけてしまいました…。
本当は私たちひとりひとりがその流れをつくっているのかもしれません。

それにしても「世界」とは一体何なのでしょうか?
そんな問いから、昨年はインドの聖者ラマナ・マハルシに関する本をよく読みました。
彼の言葉によれば、世界はスクリーンに映しだされた映画だそうです。
そして、本当の「私」とは「真我」であり、映画が映し出されるスクリーンだとか。
映画で火事のシーンがあってもスクリーンが燃えるわけではありません。
それでも私たちは実際に火事が起こっているかのように反応してしまいます。
それはエゴが、「世界」という対象を作り出しているからだそうです。
マハルシによれば、身体的な感覚をもった「エゴの私」から見たら、「世界」は目の前に存在している実在ですが、私たちが自分を真我としてみることができれば、世界もまた真我として理解できるのだそうです。
そうなると世界が実在かどうかは重要ではなくなるとか…。
何度読んでも私には理解できないことばかりですが、それでもどこか心惹かれるものがあります。
スピリチュアル・ティーチャーとして多大な影響力をもつエックハルト・トールも同様のことを書いていて、今この瞬間に意識を向けることを通して、形の世界と形のない世界をつなぐための視点を提供してくれます。
今世界の状況を見渡すと、暗澹たる気持ちになることがしばしばです。
エックハルト・トールの『ニューアース』によれば、「人類はいま、進化するか死滅するかという重大な選択を迫られている」とありますが、まさにそれを実感してしまいます。
今年もまた、多くの人に出会わせていただく機会がありそうですが、出会いを通しで自らの「エゴ」と「世界」をもう少し深く理解できたらと願っています。
因みにスピリチュアルという言葉にアレルギーのある方もいらっしゃるかもしれませんが、『ニューアース』は心理学的な記述も多く、読みやすい本でおススメです。

(2026年1月4日 岩田)

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