出会いは偶然?それとも必然?

答えのない問いについて考えた一日
今日の午前中、少しだけ遠い方のスーパーに行こうと思い立ちました。
私の家の近くには商店街のアーケードがあります。
いつもは住宅街の中の道を通るのですが、今日は何となくアーケードの方に足が向いたのです。
アーケードを歩き始めて2、3分で、近所に住んでいる友人にばったり会いました。
近くに住んでいても普段ほとんど会うことはなく久しぶりだったので、近況を聞いたりしながらしばらく立ち話をしました。
で、彼女と別れて1分も経たないうちに、今度は別の知人に会ったのです。
先の友人とも共通の知り合いだったので、実はさっき彼女に会ったのよ、などと言いながら、また少し立ち話。
今度は3人で会いましょうと言って別れました。
改めて人との出会いは不思議だなぁと思いました。
私がいつもの道を通っていたら、ふたりに出会うことはなかったかもしれないし、こうしてそのことをブログにすることもなかったでしょう。
心が赴くままに行動しているとき、それは自分の選択によると思いたいものですが、果たしてそうなのか?
今日の私の出会いはほんのささやかな出来事ですが、大きな事故のニュースなどでわずかなことが生死を分けたということもよく聞きます。
自分の選択によって生きていると思い込んでいても、実は自動的に選択させられ、生かされているのかもしれません。
「偶然か、必然か」…これまでにも多くの人が関心を寄せてきたテーマです。
先日ある縁で青山圭秀さんという方の『アガスティアの葉・完全版』という本を読みました。
アガスティアの葉については、私も聞いたことがあり、友人の中でそれを読んでもらったという人もいます。
インドで今から何千年も前にアガスティアという大聖仙がいて、乾燥させた椰子の葉に個人の過去・現在・未来を予言し、記したのだそうです。
保管されているアガスティアの葉は、現代に生きる人のものもあり、青山さんが、明かしていない両親の名前、仕事などを言い当てられて驚いた、ということが書かれていました。
私は生涯アガスティアの葉とは縁がないでしょうが、不思議なことが存在する可能性は否定しません。
聖人や賢者といった人たちは世界、宇宙を包括的にとらえることができる人たちという印象がありますが、そのような意識に立つことができたら、あらゆることが必然と見えるのかもしれません。
朝のちょっとした出来事からそんなことを考えてしまいました。
自分をふりかえると、意識のごく浅い部分で日々を生きていることが多いなぁと感じます。
人生を終える時にはもう少し何かがつかめていると嬉しいですが、ひとまず答えの出ない問いは保留にしておきます。
(2026年1月18日 岩田)





