待つことが必要なときもある

進展のないままの2か月

今年8月上旬、転倒して前歯を折るというアクシデントがあったことを以前書きました。
その後どうなったかというと、前歯のない状態はそのまま、です。
何もしてこなかったわけではないのですが、かかりつけの歯科と矯正歯科との連絡に時間を要していました。
状況が動かない期間も、気持ちの変化は当然さまざまあり、仕方がないのでそれを観察することに意識を向けていたというところです。
当初は10月には仮の歯が入っているぐらいに期待していたのですが、期待通りには進みませんでした。
がっかりはしましたが、通常はマスクで過ごせば、私の歯の状態など他の人に知られることはありません。
親しい人と食事を共にする際には事情を伝えているので、特に問題はありません。
そうこうしているうちに、がっかりした気持ちはなくなり、「まあそのうちになんとかなるだろう」という気分になってきました。
成り行きにまかせようと気持ちを決めたら、いろいろ気にならなくなってきました。
歯を折ることがなかったら、こうした諸々の気分を味わうことなく、今頃マウスピースをつけていたのでしょうが、そういう流れではなかったということです。
コロナ禍以降マスク姿が珍しくなくなり、幸い私のマスク姿も特に目立つことはありません。
さらに最近インフルエンザやコロナなどが増加傾向にあるので、マスクをしている人が増えている気がして、心強さすら感じます。
不便といえば不便なこともありますが、この程度で不便だと不満に思う必要もないでしょう。
ものごとには、自分で頑張ったら何とかなるということもありますが、どうにもならないこともあります。
後者に対してはただ「成るように成る」ことを信じ、思うようにならないことに焦点を当てすぎないことが大事だなぁ、と感じています。

(2025年10月5日 岩田)

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