先人に学ぶ生き方

松姫さまって知っていますか?

一昨日から2日間東京・八王子に泊まっていました。
駅から歩いていける範囲でお寺か神社を訪ねてみようかと探していたときに、「信松院(しんしょういん)」というお寺が目に入りました。
調べてみると、そこは武田信玄の四女が庵を結んだ場所でした。
山梨県民は今でも尊敬の念を込めて、信玄公と呼びますが、その子女のその後についてはあまり語られることがありません。
私も四女が松姫さまと呼ばれていたことを知りませんでした。
武田家の姫様として大切に育てられたであろう松姫さまは7歳にして織田信長の嫡子信忠と婚約。
が、その婚約は結局破棄に至りました。
信玄の上洛に立ちふさがった徳川家康に対し、織田信長が援軍を送ったことが原因だといいます。
その直後、信玄は病没し、周知の通り、武田家は滅亡への道をたどることになります。
信松院のサイトを見ると、松姫さまは幼い姪たちとともに関東に落ちのびた末、22歳で剃髪したと書かれています。
22歳!現代なら学生という場合も多いでしょう。
余談ですが、先日読んだ本の中に昔と現代とでは人の年齢を比較する際に昔の人の年齢を1.5倍しないと、現代との比較が成り立たないという説がありました。
仮にそれを採用すると、33歳になるでしょうか?
それでも若いことには違いありません。

松姫さまの後半生から学ぶ生き方

松姫さまの人生は戦乱の世に翻弄されました。
信松(しんしょう)禅尼と称し、庵を結んだ地が、現在の信松院です。
仏堂精進の日々の傍ら、糸を紡ぎ、織物の技を里人に伝えたり、子どもたちに手習いを教え、慕われたと伝えられています。
父の敵であった徳川家康からも寺領を賜り、旧武田家の家臣たちの心の拠りどころになったとも書かれていました。
そして56歳で眠るようにその生涯を閉じた、とあります。
生きるとは、時に突然やってくる理不尽な出来事と折り合いをつけていくことでもあります。
何か起こったときに、先人の生き方から学べることも多いものです。
戦乱の世から徳川の世へ。
時代の移り変わりの中で仏道に自らを捧げ、人々を慈しんだ松姫さまの姿を想像すると、そこから学べることが少なくありません。
今回、偶然にも松姫さまの存在を知ることができたことが何よりの収穫でした。

(2023年12月17日 岩田)

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